ふるさとの手帖

市町村一周の旅

大台方面へ訪れて、伊勢の旧市町村へ。【旧市町村一周の旅(三重県)|1月29日―664日目)】

大台方面へ訪れて、伊勢の旧市町村へ。【旧市町村一周の旅(三重県)|1月29日―664日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【133/171】

133/171
77.78%
訪れた旧市町村の数【1740/2,098】
1740/2098
82.94%
総計【1873/2,269】
1873/2269
82.55%

スーパーカブの総走行距離
42559km

多気町→大台町→旧宮川村→旧大宮町→旧小俣町→旧御薗村、の6つ。
今日の旅先のこと
朝、伊賀から京都へ抜ける名阪国道で冠雪の情報があって、すかさずレーダーをチェック。今日は、大台町という山間部のまちにも訪れる予定でした。そして、泊まっていた多気町から空を見ると、やや分厚い雲が。どうだろう、と思いつつ、様子を見て、撤退やルート変更も視野に入れながら、進んでいきました。結果的に、雪は舞った程度で助かったといえます。しかし、それは結果論で冬はまだ続きますし、これからも撤退やルート変更は、常に念頭に置いておく必要があるでしょう。それでは振り返っていきましょう。


多気町たきちょう(1/6)
宿を多気町で取っていたので、そのまま徒歩の散策から始まった。多気町役場のそばには、ニュータウンの団地ができていて、新しい戸建ての住宅もたくさん並んでいる。さらに歩いて紀勢本線を少し越えていくと、遠くまで景色もひらけた。こちら側の住宅はやや古く懐かしい。西側の山の方角を見て、雲の様子を観察する。ここは大丈夫そうだけれど、山の方は、寒そうな雲だなあと。距離としては大差なくても、山が近いか遠いかで変わるものだから、天気は絶妙である。
多気町を散策。
役場近く。
シューッ。
向こうは多分雪が舞ってる。
大台町おおだいちょう(2/6)
いよいよ大台町方面へ向かっていく。大台町と、次の旧宮川村が、今日の山場だ。とにかく積雪がなければという思いで進んでいく。ただ、市街地まで残り数キロといったところで、雪が舞いはじめた。これが積もるようなら、すぐに引き返した方がいいなと考える。ただ、空には晴れ間も見えたので、雪がやむことを想定して「道の駅 奥伊勢おおだい」に到着し、ひと休憩。天気のレーダーを見て、おそらく大丈夫だと判断して、周囲を散策した。散策から戻ってくる頃にようやく強い日差しが出てくれたとき、「日差しだ‥日差しだ‥」と、日差しがひたすらに尊く感じられたのだった。
大台町へ。
山のイメージ。
三瀬谷駅。
向こうは日差しだ。
日差しだー!
宮川が流れる。
宮川村みやがわむら(大台町)(3/6)
旧宮川村へはもう少しだけ、山の方向へ進むことになる。とにかく無理せず進んで行った。空の2/3が晴れで、1/3が雪雲のような状態。だから雪も舞った。ただ、すぐに止んでくれてやはり助かった。

市街地を散策していると、昔ながらの長屋に、写真屋さんとか昔のお店がいくつか入っていて、とても懐かしい雰囲気もあった。ほかにも農協や歯医者さんの日常を垣間見る。ああ、ここにも暮らしが広がっているのだなあ。まちを流れる宮川は伊勢の海へ流れ出ていく。その上流部では、このような暮らしが広がっているのだと。近くには温泉もあるけれど、今日はこのまま先へ。
旧宮川村へ。
懐かしい。
元々は宮川村役場。
昔ながらの雰囲気だなあ。
Y字路だ。
大宮町おおみやちょう(大紀町)(4/6)
晴れたり、雪がちらついたりする空模様を抜けて、旧大宮町へ向かう。国道42号線に入って5kmほどで、大紀町役場に着いた。国道から一本入るとおそらく旧道で、そこに昔ながらの住宅が並んでいたり、タクシーやハイヤーがあったり、生活の場であることを感じる。

何より旧大宮町といえば、瀧原宮である。前回の旅でも訪れたし、今回も訪れることができてうれしい。参道は思ったよりも長く感じた。深い森のような空間を進み、お宮まで辿り着いてからも、立派な木がそびえていた。幹が太く、ややねじれていて、せりあがったような姿だ。

深い木々に囲まれていながらも、葉が若々しく見えて明るく感じる神社である。
大紀町役場へ。
住宅地を歩く。
大内山川の川向こうは大台町。
瀧原宮へ。
美しい参道だ。
参拝後、雪が舞った。
小俣町おばたちょう(伊勢市)(5/6)
瀧原宮からUターンする形で、40kmほどの移動だ。途中は玉城町を通過した。玉城町付近からようやく平野の景色になって、大きな安心感に包まれる。もちろん安全運転を続けることに変わりはないけれど。

市街地に着くと、今度は平野部なので風が強かった。学校のグラウンドからは強風で砂が飛びまくっている。目の前が黄砂だ。

そして、「小俣町奉曳団始動」と描かれたポスターも発見。下の欄には“第63回神宮式年御遷宮”とある。つまり、神宮さんの式年遷宮に合わせて、みこしか山車を曳くということかなあ。やっぱり、この辺りの地域も伊勢神宮と大きく関わっていることを再認識した。
砂がすごい。
小俣総合支所。
すごく良いコープだった(昼食を買った)。
扉だけ。
小俣町奉曳団。
宮川駅。
やっぱりポイントは宮川かな。
御薗村みそのむら(伊勢市)(6/6)
最後にやってきたのは、旧御薗村。ここでは「山田奉行所記念館」へ訪れてみる。山田奉行所とはどういうことなのだろうか、ということから分かっていなかったが、館内で係のおじさんが親切にいろいろと説明してくださった。

徳川幕府が始動して、全国各地に家康から直接設置するようにと命じられた奉行所が全国に三つあり、「佐渡」「長崎」「山田(伊勢)」なのだそうだ。佐渡は金銀山を有し、長崎は海外との関わりが深い。では、山田は? ということだが、主に4つの役割があったそうで、ひとつは通常の奉行所の役割、ひとつは伊勢湾の警護、ひとつは伊勢神宮の警護、ひとつは伊勢神宮の式年遷宮の運営、と。やはりこの地域特有の要素が濃いし、伊勢神宮は幕府もこれだけ重要視していたのだなあと。

ほかにも、記念館の近くは小林という地域なのだが、「こばやし」ではなく、「おはやし」と読むそうだ。それは、伊勢神宮の林があったから、お「はやし」ということなのだと。とても伊勢の世界だ。
旧御薗村へ。
宮川沿い。空が広い!
山田奉行所記念館。
当時はこれぐらいの規模感だったと。大きいなあ。
いろいろ展示物。
裁判などを行うおしらすさん。
水軍もいたと。
小林(おはやし)集落を歩く。
元々の奉行所があった場所。
とても風が強い。
というわけで、今日の散策はここまで。雪の降り方によっては撤退も考えた一日でした。これからも無理をしないように。そして、無事に伊勢市まで来れたことを思うと、とてもありがたく、感慨深いです。
本日のひとこと
山田奉行所記念館を訪れたあと、少し散策をして戻ってくると、スタッフのおじさんたちがカブを囲んでいて。かなり関西弁が強くて聞き取りづらかったけど、「食べてるか?」とか、うれしい会話でした。
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(終わり。次回へ続きます)

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