今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【133/171】
訪れた旧市町村の数【1721/2,098】 総計【1854/2,269】スーパーカブの総走行距離
42281km
今日の旅先のこと
先輩のご実家で一泊させていただいたのでした。そして今日、どうするかというところ。先輩は今日中に東京へ戻られるとのことで、カブの方がいいかなとも思っていましたが、ご厚意で車で案内していただけることに。とてもとてもありがたいことです。たとえば、亀山から伊賀へ向かうにしても、下道で峠を越えるのと、名阪国道でビュンっと越えるのとでは、全然違うのだなあと気付かされました。
おうちからは朝焼けがすごく綺麗で、家の外から見ても、家の中に届く光も、とても淡い冬の色でした。それでは振り返っていきましょう。
おうちからは朝焼けがすごく綺麗で、家の外から見ても、家の中に届く光も、とても淡い冬の色でした。それでは振り返っていきましょう。
旧伊賀町(伊賀市)(1/6)
まずは最初に、亀山市から旧伊賀町へ向かう。地名が伊賀なので、中心地のようにも感じるけれど、最も人口が多いのは旧上野市で、そこから少し東に位置している。移動では名阪国道に乗った。カブなら乗れないし、そもそも名阪国道は亀山ー天理間が無料だということもまったく知らなかった。名阪と聞いて高速道路だと思っていたから。
加太トンネルを抜けて伊賀市へ入る。下柘植ICを降りると、とても広い盆地だった。周囲は山に囲まれているものの、それよりも空の広さが気持ちいい。
新堂駅と同じ場所に建つ伊賀支所は、「SHINDO YARDS」という複合施設と一体になっていた。2023年にオープンしたそうだ。蔵のような黒壁の外観に驚いたし、図書館やカフェも併設されている。旅のスタートからこのような建物に出会ったので、伊賀市ってすごいな!? という印象が増すばかり。
近くの田んぼ沿いを歩いたとき、畔が真っ黒になっていて、野焼きされていることに先輩が気づいた。どうやらまだ新しいような気がする。冬の田んぼと黒色の畦のコントラストも、今の時期らしくて美しいのであった。
旧阿山町(伊賀市)(2/6)
次に向かったのは、旧阿山町。旧伊賀町と旧上野市に挟まれた、北に位置するまち。景色は変わっても、同じく盆地であると感じられた。
市街地を歩いていて車とすれ違うとき、いつも車の人に見かけない顔だなとチェックされているわけだが、今日は先輩を道連れにしてしまっているので、いつも以上に市街地を歩くのも気持ちが楽だった。
そして、「道の駅 あやま」へ。正面にはりんごのモニュメントがあり、この地域もりんごが栽培されているのだろう。ということは、冷え込むわけだなあ。また、館内では朝から何かを食べている人が多い。どうやら、うどんを食べている。朝から営業しているようで、出汁のいい香りがしてくる。寒いし、あったまるのは最高だよなあ。ぼくと先輩はコーヒーでいっぷく。
次に向かったのは、旧阿山町。旧伊賀町と旧上野市に挟まれた、北に位置するまち。景色は変わっても、同じく盆地であると感じられた。
市街地を歩いていて車とすれ違うとき、いつも車の人に見かけない顔だなとチェックされているわけだが、今日は先輩を道連れにしてしまっているので、いつも以上に市街地を歩くのも気持ちが楽だった。
そして、「道の駅 あやま」へ。正面にはりんごのモニュメントがあり、この地域もりんごが栽培されているのだろう。ということは、冷え込むわけだなあ。また、館内では朝から何かを食べている人が多い。どうやら、うどんを食べている。朝から営業しているようで、出汁のいい香りがしてくる。寒いし、あったまるのは最高だよなあ。ぼくと先輩はコーヒーでいっぷく。
旧上野市(伊賀市)(3/6)
さあ、伊賀市街地へ向かって行こう。前回の旅では市街地を散策したものの、伊賀上野城へ訪れることができていなかった。なので、再訪の機会をもらえてありがたい気持ちでいっぱいだ。
筒井定次が築いた伊賀上野城は、国替えでやってきた城造りの名手、藤堂高虎の手によって改修された。その石垣は約30mを誇り、日本随一だ。
天守はやはり城の雰囲気をそのままに味わうことができる、と思ったわけだが、かつて天守閣は大嵐で倒壊してしまっていた。家康による天下統一のあと、城普請は禁じられており、天守は再建されないまま、明治維新を迎えたと。
ではこの天守閣はいつ再建されたのか? という話だが、伊賀出身の代議士だった川崎克という人物が、多くの支援者の協力を得て、自らも多くの私財も投じて再建されたものだと。展示を見ていると、鉄筋コンクリートではなく、古代桃山式の建築を踏襲すべきだとしたことも綴られていた。ああ、この雰囲気の良さは、そうした努力もあるのだなあと。
何より、昨今、私財を投じて何かをする、という話はあまり多くないような気がする。思い浮かぶのは政治家というよりも、プロ野球選手とかだ。やっぱり、生き方がかっこいい人はすごい。
さあ、伊賀市街地へ向かって行こう。前回の旅では市街地を散策したものの、伊賀上野城へ訪れることができていなかった。なので、再訪の機会をもらえてありがたい気持ちでいっぱいだ。
筒井定次が築いた伊賀上野城は、国替えでやってきた城造りの名手、藤堂高虎の手によって改修された。その石垣は約30mを誇り、日本随一だ。
天守はやはり城の雰囲気をそのままに味わうことができる、と思ったわけだが、かつて天守閣は大嵐で倒壊してしまっていた。家康による天下統一のあと、城普請は禁じられており、天守は再建されないまま、明治維新を迎えたと。
ではこの天守閣はいつ再建されたのか? という話だが、伊賀出身の代議士だった川崎克という人物が、多くの支援者の協力を得て、自らも多くの私財も投じて再建されたものだと。展示を見ていると、鉄筋コンクリートではなく、古代桃山式の建築を踏襲すべきだとしたことも綴られていた。ああ、この雰囲気の良さは、そうした努力もあるのだなあと。
何より、昨今、私財を投じて何かをする、という話はあまり多くないような気がする。思い浮かぶのは政治家というよりも、プロ野球選手とかだ。やっぱり、生き方がかっこいい人はすごい。
旧島ヶ原村(伊賀市)(4/6)
次にやってきたのは、旧島ヶ原村。上野から西へ進み、京都府と県境を接する村だ。国道を折れて、市街地へ入る。すると山の風景から再び盆地がひらけた。雰囲気はほかのまちとはやはり異なる。瓦屋根の立派な家が多く、まちの中央には川が通っている。
この川はなんだろうと気になったところ、木津川だった。京都には木津川市があるし、やがて淀川に合流する川だが、ここを通っているのかあと思うと、勉強になる。この勉強がどう生きるかは分からないけれど。
そして、木津川の橋を歩くとびゅうびゅうと強い風にさらされて、吹き飛ばされそうである。ただ、橋の上から見える景色はここにしかない美しさがあり、島ヶ原という土地をまるごと肌で感じたのだった。
次にやってきたのは、旧島ヶ原村。上野から西へ進み、京都府と県境を接する村だ。国道を折れて、市街地へ入る。すると山の風景から再び盆地がひらけた。雰囲気はほかのまちとはやはり異なる。瓦屋根の立派な家が多く、まちの中央には川が通っている。
この川はなんだろうと気になったところ、木津川だった。京都には木津川市があるし、やがて淀川に合流する川だが、ここを通っているのかあと思うと、勉強になる。この勉強がどう生きるかは分からないけれど。
そして、木津川の橋を歩くとびゅうびゅうと強い風にさらされて、吹き飛ばされそうである。ただ、橋の上から見える景色はここにしかない美しさがあり、島ヶ原という土地をまるごと肌で感じたのだった。
旧青山町(伊賀市)(5/6)
伊賀線沿いの青山街道を通り、旧青山町へ。伊賀市の6つの旧市町村において、旧青山町はやや離れていて、名張市街地が近い。そして、やはり旧青山町でも、小盆地の風景が広がっていた。また先輩曰く、青山といえば青山高原だと。示してくれた山の斜面には幾つもの風車が遠目でもぐるぐる回っているとわかる。市街地でもすごい風なので、高原の風はとんでもなさそうだ。
さらに散策していく中で、「阿保宿」を発見。あお、と読む。初瀬街道の宿場町で、お伊勢参りの参拝客で賑わったと。町並みは水路や暗渠がいくつも流れ、水がうつくしく、街道らしい気配も残っていた。
また、大村神社の立札を見つけて立ち寄る。元々伺ってみたい気持ちもありつつ、散策中は頭の中になかったので、「あ!」という感じだ。昼間でも参道の石段は深い木々に囲まれて薄暗く、街灯がついていた。参拝したとき、御祈願だろうか、神前に人がやってきて、太鼓がドンドコと鳴った。大村神社は土地の鎮め・地震除災の守り神様として知られている。
伊賀線沿いの青山街道を通り、旧青山町へ。伊賀市の6つの旧市町村において、旧青山町はやや離れていて、名張市街地が近い。そして、やはり旧青山町でも、小盆地の風景が広がっていた。また先輩曰く、青山といえば青山高原だと。示してくれた山の斜面には幾つもの風車が遠目でもぐるぐる回っているとわかる。市街地でもすごい風なので、高原の風はとんでもなさそうだ。
さらに散策していく中で、「阿保宿」を発見。あお、と読む。初瀬街道の宿場町で、お伊勢参りの参拝客で賑わったと。町並みは水路や暗渠がいくつも流れ、水がうつくしく、街道らしい気配も残っていた。
また、大村神社の立札を見つけて立ち寄る。元々伺ってみたい気持ちもありつつ、散策中は頭の中になかったので、「あ!」という感じだ。昼間でも参道の石段は深い木々に囲まれて薄暗く、街灯がついていた。参拝したとき、御祈願だろうか、神前に人がやってきて、太鼓がドンドコと鳴った。大村神社は土地の鎮め・地震除災の守り神様として知られている。
旧大山田村(伊賀市)(6/6)
最後にやってきたのは、旧大山田村だ。やはりこちらでも市街地に入ると、小盆地が現れた。伊賀市のイメージは盆地で合っているが、小さな盆地もいくつかあって、伊賀市全体があるのだとつくづく思う。
ただ、ほかのまちと違っていたのは、住宅の多くが低い山の麓に集中していて、盆地の中央部は田んぼとしてひらけていたこと。支所はその盆地の中央部にあったので、徒歩で散策していると、田んぼ道に入った途端、すさまじい風が吹くのであった。確かにこれだけの風が吹くとなると、冬場の生活は大変である。山の麓の方が風は弱いだろう。ごおお、とあまりに風が強いので、先輩との会話がなかなか聞こえないほどだった。
最後にやってきたのは、旧大山田村だ。やはりこちらでも市街地に入ると、小盆地が現れた。伊賀市のイメージは盆地で合っているが、小さな盆地もいくつかあって、伊賀市全体があるのだとつくづく思う。
ただ、ほかのまちと違っていたのは、住宅の多くが低い山の麓に集中していて、盆地の中央部は田んぼとしてひらけていたこと。支所はその盆地の中央部にあったので、徒歩で散策していると、田んぼ道に入った途端、すさまじい風が吹くのであった。確かにこれだけの風が吹くとなると、冬場の生活は大変である。山の麓の方が風は弱いだろう。ごおお、とあまりに風が強いので、先輩との会話がなかなか聞こえないほどだった。
というわけで、今日の散策はここまで。伊賀市も少しずつ地域に違いがあることを、端的に表現するのはなかなかむずかしいです。でも、たとえば6つの地域それぞれが伊賀市である、と知れただけでも、ぼくにとっては大冒険でした。何より先輩には一日を通して運転いただき、ご家族にも大変お世話になり、ありがたい気持ちでいっぱいです。ほんとうにありがとうございました!
本日のひとこと
先輩のご実家を出発する際にいただいた、ご当地の亀山みそ焼きうどん。ピリ辛で香ばしくて、すんごく美味しかったです。
先輩のご実家を出発する際にいただいた、ご当地の亀山みそ焼きうどん。ピリ辛で香ばしくて、すんごく美味しかったです。
旅を応援してくださる方へ
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら
(終わり。次回へ続きます)
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