ふるさとの手帖

市町村一周の旅

一宮市から稲沢市へ、神社仏閣も訪れつつ。【旧市町村一周の旅(愛知県)|1月22日―657日目)】

一宮市から稲沢市へ、神社仏閣も訪れつつ。【旧市町村一周の旅(愛知県)|1月22日―657日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【133/171】

133/171
77.78%
訪れた旧市町村の数【1695/2,099】
1695/2099
80.75%
総計【1828/2,270】
1828/2270
80.53%

スーパーカブの総走行距離
42047km

一宮市→旧木曽川町→旧尾西市→旧祖父江町→旧平和町→稲沢市、の6つ。
今日の旅先のこと
昨日は北名古屋市で旅を終え、今日は一宮市と稲沢市を目指して進んでいきます。暮らしが広がる中、尾張国の立派な神社仏閣に出会うことも多かったなあと。それでは振り返っていきましょう。


一宮市いちのみやし(1/6)
8時に豊山町を出発して、一宮市の真清田神社へ向かう。グッと冷え込んだ快晴の朝で、青空はうれしいけれど、いつかは悪天候の日がやってくることも同時に思う。晴れの日をあたりまえと思わずに、天気が崩れる日も、冷静な対応が必要だ。

一宮市に入ってからは、平野で空も広く感じられる。ただ、一宮駅前に近づくと、一気に雰囲気が変わった。大きな商店街や高いビル密集していて、市役所も何階建てだろうという見上げる高さである。

その市街地とほぼ同じ場所に、真清田神社はあった。広々とした境内で、入り口の鳥居は商店街とも通じている。まさに、尾張国一之宮らしい存在感。

商店街を通って一宮駅の方まで歩いていくと、正面はJRの尾張一宮駅で、建物も非常に立派だった。名鉄一宮駅もあるみたいだし、規模としては相当大きく感じられる。

前回の旅では、138タワーパークに訪れていたので、一宮市街地へ訪れるのは初めてで、さすが一宮だと思うばかりだった。
一宮市街地へ。
真清田神社。
八方除のお守りだ。
空も広くて清々しい。
向かいには商店街。
一宮駅だ。
木曽川町きそがわちょう(一宮市)(2/6)
4kmほどの移動で、旧木曽川町にやってきた。木曽川を渡った先は、岐阜県である。いつの間にか、岐阜県が近いことにも驚いてしまう。町の雰囲気は落ち着いてきた。住宅地であることには変わりないけれど、シティからタウンになった感じがする。

木曽川庁舎の周辺を歩いた後、イオンモール木曽川と黒田駅の間も歩いてみた。黒田駅はまさに住宅地の中を進み、迷いそうな道を抜けると駅があった。イオンは大雨が降ったとき、調整池になるから気をつけてという注意書きもあった。平面駐車場は池になってしまうのか……。木曽川が近いということを、その注意書きを見て実感した。
木曽川庁舎。
一宮市木曽川町。
不思議な形。
黒田駅近くにも。
名鉄の踏切は長いことが多い。
尾西市びさいし(一宮市)(3/6)
合併で市の名前がなくなるケースは、やはり全国的に少ない。ただ、確かに尾西市街地を訪れたとき、道路沿いのお店の数だったり、チェーン店だったり、町の規模感だったり、ここだけでも暮らしが十分に成り立つ便利さを感じる。尾西庁舎の周辺はきっちりと碁盤目状の区割りになっていて、新しい戸建ての住宅も並んでいた。

また、数分移動した先にある「三岸節子記念美術館」へ。恥ずかしながら、洋画界の重鎮だった彼女のことを、今まで知らなかった。建物はおしゃれなレンガ調で、館内へ足を踏み入れると受付の方もとても丁寧だった。初めて作品を見る。油絵で、とてもずっしりしている。色は強く、トーンは暗めに感じる。もちろん、絵を判断する目がぼくに養われているとは思わない。そして、彼女の人生を追っていくと、夫の急逝で三人の子どもを育てながら、画家たる人生を最後まで貫いたことが紹介されていた。やはり、絵はその人の内側を反映するのだろうか。

彼女の残した言葉には、絵画は魂で描くもの、己れの魂で描かなければならない、といったような言葉もあった。写真に当てはめても、その通りだ。ただ、写真はいま簡単に撮れるわけで、そこにどう魂を込めるべきか。この点については、まだまだ宿題である。いずれにせよ、モチベーションが大きく上がった。
尾西庁舎。
道はまっすぐ。
三岸節子記念美術館へ向かう。
正面。とてもかっこいい。
展示を見て、周辺を散策。
祖父江町そぶえちょう(稲沢市)(4/6)
ここからは、稲沢市へ向かう。祖父江さんは何人か思い浮かぶ人がいる。だから、苗字だけではなく地名としてもあったのだなあと。

まずは「木曽川祖父江緑地」へ。名前からして、木曽川の河川敷っぽい景色なのか、緑豊かな森っぽい景色なのかなあと思っていたが、訪れた先には子ども向けの遊具がたくさんある広場だった。長いローラー滑り台や、船の遊具はインパクト抜群。土が砂浜みたいにサラサラで、遊具から木曽川の方角には松林も広がっており、雰囲気はなかなかのオンリーワンだ。

さらに、住宅街を抜けて善光寺東海別院にも立ち寄ってみる。とても立派なお堂で、堂内の欄間も黄金のこしらえ。でも、煌びやかさよりも荘厳な静けさを感じるのは、お寺のお寺たる所以なのかなあ。東海地方には有名な善光寺が3つあるそうだ。岐阜善光寺と関善光寺。ああ、関善光寺は参拝した。そして、岐阜善光寺もすぐそばを歩いている。意外と身近なところで出会っていた。
木曽川祖父江緑地へ。
船が大きい。
子どもの遊び場。
善光寺東海別院へ。
堂々たる構えだなあ。
周辺の雰囲気は少し懐かしかった。
平和町へいわちょう(稲沢市)(5/6)
地名には意味があることが多いけれど、平和町という名は、もはや真理である。

稲沢市街地よりも南西に位置し、愛西市との境界付近に平和市街地はあった。平和庁舎の向かいには、サッカーも広々とできる平和中央公園があって、中学生がバスケットの練習を一人黙々と行っている。さらに周辺を歩くと、今日の散策の中では最も景色がひらけた。たぶん、岐阜県であろう冠雪した山々もよく見える。景色がよいと風通しも良くて寒かった。

また、中学校の名前も「平和中学校」だった。今、日本には「平和」と直接漢字で表記される市町村はない。けれど、平和という地名は確かに日本にもあるのだと知って、それは誰かが平和町と名付けたわけであり、誰しもが願ってやまない思いが地名にもなることに、いいなあと思わずにはいられないのだった。
平和支所に、大きな楠。
健康と明るく温かい家庭を願って、と。
楠の句だ。
平和中央公園。
見晴らしがいい。風も強い。
何の植物かな。
稲沢市いなざわし(6/6)
最後にやってきたのは、稲沢市街地だ。尾張大國霊神社を目指して進んでいく。途中は稲沢市役所も通った。まちは地方都市らしく、お店などが充実しているように見えて、ぼくの地元とも似たものを感じる。

また、名鉄はほんとうに通過していく電車の数が多くて、踏切は大渋滞だ。思えば、もう少し名古屋寄りの地域は、高架線になっていたような気がする。けれどこの辺りは地上を走っていることが多くて、踏切も引っかかってあたりまえという気配だ。

その踏切を超えた先に、尾張大國霊神社がある。入口の楼門から何より立派だ。この迫力は、熊本県人吉市の青井阿蘇神社の楼門を思い出す。また、門の前は砂の参道ができており、少し歩いていると、物見櫓のような客席もあった。お祭りで見物席になるのかなあと思ったわけだが、のちに「国府宮はだか祭」があることをポスターで知った。ええ! はだか祭! それは、すごいなあ…。しかも、今年の日付は2月10日でもうすぐだ。もし、この日と被っていたら、もう、旅どころではなかったかもしれない。はだか祭、いつかは見てみたいものである。

神社から近い国府宮駅は徒歩で、またJR稲沢駅の周辺もカブで通過した。JR稲沢駅の方は踏切ではなく立体交差だったので、上から駅の方を眺めると、線路の数がものすごく多かった。愛知は名鉄のイメージが強いけれど、JRもJRでやっぱりすごいなあと。
尾張大國霊神社へ。
立派な楼門だ。
客席かなあ。
とてもいい雰囲気。
国府宮駅の方面へ。はだか祭かあ!
徒歩の道。
電車がどんどん通る。
「旧中島郡高等小学校校舎」。懐かしい建物。偶然見つけた。
というわけで、今日の散策はここまで。前回の旅では、一宮市も稲沢市も、ひとつの場所をピンポイントで訪れていたので、今回はさらにいろいろな景色を知ることができました。小さな旧市町村のまちでも暮らしがたくさん広がっていて、濃尾平野らしさも感じます。
本日のひとこと
やっぱり、愛知県は喫茶店の数が多いと感じます。さすがだ。
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(終わり。次回へ続きます)

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