今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【93/171】
訪れた旧市町村の数【1680/2,099】 総計【1773/2,270】スーパーカブの総走行距離
41755km
今日の旅先のこと
この日は、山場だと思っていました。ある程度寒いだろうということと、中山間部のまちがメインになると思っていたので、いつもよりも重ね着で出発して。ただこの日、急な積雪に遭い、怪我をしてしまうことは想定外でした。怪我をしてからは、残しているメモが減っているので、ちょっと簡素な感じになるかもしれませんが、振り返っていきましょう。
豊田市(0/4)
前日に豊田市民芸館へ訪れていましたが、今朝は市街地を東へ進み、鞍ケ池公園に向かいました。休日で朝から家族連れがたくさん来ていて、みな口を揃えて寒い寒いと言っています。寒くても、ここに来ればたのしい時間が過ごせるのだろうなあということは、動物園があったり、カフェやレストランがあったり、もちろん遊ぶスペースもあったり、という点からも感じられました。ショッピングモールのネイチャー版という感じかもしれません。それも建物には今時の新しさがあって、訪れたくなるような雰囲気です。
かなり寒かったですし、雨が降り始めたのでサッと訪れただけになったけれど、天気のいい日に来たら、また清々しいだろうなあと。
旧下山村(豊田市)(1/4)
鞍ケ池公園から南東の方角へ進み、根引峠を越えて、旧下山村に入りました。中山間部の雰囲気を感じますし、雨も降ったり止んだりで、気温の表示は3度とかなり寒いです。市街地まで降りていくと、小さな川が流れていて、平坦な土地には田んぼが広がり、斜面には家々が建っていて、里山という感じの風景が広がっていました。
また、生活していると、いろんな移動販売車に出会うことはあるけれど、たぶん、“刃物研ぎ”をやってる移動販売車があって、そんな車もあるんだなあと。それに、食事処の下山の里には五平餅の幟がたくさん並んでいて、お店からは五平餅の醬油のすごくいい香りが漂っていて、堪らなかったです。
鞍ケ池公園から南東の方角へ進み、根引峠を越えて、旧下山村に入りました。中山間部の雰囲気を感じますし、雨も降ったり止んだりで、気温の表示は3度とかなり寒いです。市街地まで降りていくと、小さな川が流れていて、平坦な土地には田んぼが広がり、斜面には家々が建っていて、里山という感じの風景が広がっていました。
また、生活していると、いろんな移動販売車に出会うことはあるけれど、たぶん、“刃物研ぎ”をやってる移動販売車があって、そんな車もあるんだなあと。それに、食事処の下山の里には五平餅の幟がたくさん並んでいて、お店からは五平餅の醬油のすごくいい香りが漂っていて、堪らなかったです。
カブで転倒してしまったこと。
さあ、旧下山村から、旧足助町に向かうときのことでした。すごく寒くて、移動前にカイロを追加で買い足したあとでもありました。ナビに沿って旧足助町の市街地を目指していた途中、雨が徐々に雪へと変わり、それもかなり降ってきたので、旅を中断することに。このとき、中断先ではイチョウの黄色と雪が重なってすごく綺麗に思えたほどです。
その後、どうしようかなあと天気予報のレーダーを見て、あ、ようやく雲が抜けたかな、と雪が止んだあとに再開したわけですが、ナビに従っていく道が、さらに標高の高い方角へ進んでいくものだと、土地勘なく気づいていませんでした。進行方向の方が雪とは関係ないかもしれないと思っていたぐらいです。ただ、そんな思いとは裏腹に、少し進むと雪の占める割合があっという間に増えて、さらに雪が追加で降り出して、それからは完全に周囲が真っ白に。あっという間の出来事だったので、これは…と。どうする? とにかく足助までは遠くないし、市街地まで着けば雪はないはずだと思えたのですが、様子を見ようともう一度カブを走らせたとき、ギュイイン! と滑って転んでしまったのでした。倒れた車体を起こそうとするのですが、雪で足もタイヤも滑って起きません。対向車線を軽トラのおっちゃんが悠々と通り過ぎていったとき、「ああ、やってるなあ、このバイク」という慰めの視線を感じました。幸い後続車が来ないうちに車体を起こせて、あらためて道路脇に車体を移動し、ああ、やってしまったなあと。ここで思いついたのは、岐阜県のバイク屋さんに電話をすること。今日、夕方このバイク屋さんに、ご挨拶に伺う予定だったからです。9月、後輪のタイヤがパンクしそうだったとき、このバイク屋さんに急遽助けていただいていたことがありました。なので、旅を折り返して戻ってきた今日のタイミングで、お礼に伺いたいと事前に連絡も取っていたのです。
バイク屋のご主人が電話に出てくれて、焦っていたぼくに、「とにかく冷静に、来た道を戻るしかないね…」とアドバイスをしてくれました。そうだ、撤退だ。ナビはどうやっても、撤退方向は逆だと指摘します。足助は遠くなるばかり。でも、ここはとにかく落ち着いて撤退するしかないと。気持ちを固めて、とにかく転ばないようにゆっくりゆっくりとカブを走らせていき、しばらく経って徐々に徐々に雪が減ってきたことに希望を感じると、そのまま無事に雪のないところまで撤退することができたのでした。あとで地図を見て振り返ると、雪が積もったエリアは高原地帯になっていたので、そういうことだったかあ、と。
そして、転倒した際にカブの車体と重なって右足を痛めてしまいました。右足首がかなり痛くて、カブのバッグの留め具もひとつ外れてしまって。しまったなあ。何といっても、カブに申し訳ないことをしてしまったなあと。それでも雪道を抜けたことは、不幸中の幸いでしたし、同じ失敗を繰り返してはいけないなあと。今年の冬、もちろん雪の地域を走るつもりはなかったのですが、緊急時のチェーンも必要だなあと思ったのでした。
さあ、旧下山村から、旧足助町に向かうときのことでした。すごく寒くて、移動前にカイロを追加で買い足したあとでもありました。ナビに沿って旧足助町の市街地を目指していた途中、雨が徐々に雪へと変わり、それもかなり降ってきたので、旅を中断することに。このとき、中断先ではイチョウの黄色と雪が重なってすごく綺麗に思えたほどです。
その後、どうしようかなあと天気予報のレーダーを見て、あ、ようやく雲が抜けたかな、と雪が止んだあとに再開したわけですが、ナビに従っていく道が、さらに標高の高い方角へ進んでいくものだと、土地勘なく気づいていませんでした。進行方向の方が雪とは関係ないかもしれないと思っていたぐらいです。ただ、そんな思いとは裏腹に、少し進むと雪の占める割合があっという間に増えて、さらに雪が追加で降り出して、それからは完全に周囲が真っ白に。あっという間の出来事だったので、これは…と。どうする? とにかく足助までは遠くないし、市街地まで着けば雪はないはずだと思えたのですが、様子を見ようともう一度カブを走らせたとき、ギュイイン! と滑って転んでしまったのでした。倒れた車体を起こそうとするのですが、雪で足もタイヤも滑って起きません。対向車線を軽トラのおっちゃんが悠々と通り過ぎていったとき、「ああ、やってるなあ、このバイク」という慰めの視線を感じました。幸い後続車が来ないうちに車体を起こせて、あらためて道路脇に車体を移動し、ああ、やってしまったなあと。ここで思いついたのは、岐阜県のバイク屋さんに電話をすること。今日、夕方このバイク屋さんに、ご挨拶に伺う予定だったからです。9月、後輪のタイヤがパンクしそうだったとき、このバイク屋さんに急遽助けていただいていたことがありました。なので、旅を折り返して戻ってきた今日のタイミングで、お礼に伺いたいと事前に連絡も取っていたのです。
バイク屋のご主人が電話に出てくれて、焦っていたぼくに、「とにかく冷静に、来た道を戻るしかないね…」とアドバイスをしてくれました。そうだ、撤退だ。ナビはどうやっても、撤退方向は逆だと指摘します。足助は遠くなるばかり。でも、ここはとにかく落ち着いて撤退するしかないと。気持ちを固めて、とにかく転ばないようにゆっくりゆっくりとカブを走らせていき、しばらく経って徐々に徐々に雪が減ってきたことに希望を感じると、そのまま無事に雪のないところまで撤退することができたのでした。あとで地図を見て振り返ると、雪が積もったエリアは高原地帯になっていたので、そういうことだったかあ、と。
そして、転倒した際にカブの車体と重なって右足を痛めてしまいました。右足首がかなり痛くて、カブのバッグの留め具もひとつ外れてしまって。しまったなあ。何といっても、カブに申し訳ないことをしてしまったなあと。それでも雪道を抜けたことは、不幸中の幸いでしたし、同じ失敗を繰り返してはいけないなあと。今年の冬、もちろん雪の地域を走るつもりはなかったのですが、緊急時のチェーンも必要だなあと思ったのでした。
旧足助町(豊田市)(2/4)
この日のスケジュールがリセットされた状況でしたが、せめて日没まで進めるだけ進まないと、振り返ったときに後悔するだろうという気持ちもあったので、すでにかなり遠ざかってしまった中で、迂回して旧足助町に向かいました。
この日のスケジュールがリセットされた状況でしたが、せめて日没まで進めるだけ進まないと、振り返ったときに後悔するだろうという気持ちもあったので、すでにかなり遠ざかってしまった中で、迂回して旧足助町に向かいました。
しかも、訪れようとしていた市街地は、香嵐渓という紅葉の名所とも重なっており、かつ休日で、紅葉も見頃を迎えていたので、数キロ手前から大渋滞で。今日はそういう日だなあと思いつつも、何とか駐車場にたどり着くことができました。
ただ、香嵐渓の紅葉はほんとうに見事でした。小さな山の斜面全体が、真っ赤に染め上がっていて、手前には川が流れており、これ以上ない日本の風景だと感じられるほどです。誰が見ても満足できるような鮮やかさがあり。
何より、足助の町並みは「国の重要伝統的建造物群保存地区」に登録されています。かつての飯田街道が通った宿場町で、懐かしい風情の町並みが残っていました。
このとき、怪我をしてから初めて歩いたわけですが、いやあ、痛むなあ、という感じで、捻挫で治ったらいいなあ、と思っていました。(結果はヒビでしたが)
ただ、香嵐渓の紅葉はほんとうに見事でした。小さな山の斜面全体が、真っ赤に染め上がっていて、手前には川が流れており、これ以上ない日本の風景だと感じられるほどです。誰が見ても満足できるような鮮やかさがあり。
何より、足助の町並みは「国の重要伝統的建造物群保存地区」に登録されています。かつての飯田街道が通った宿場町で、懐かしい風情の町並みが残っていました。
このとき、怪我をしてから初めて歩いたわけですが、いやあ、痛むなあ、という感じで、捻挫で治ったらいいなあ、と思っていました。(結果はヒビでしたが)
旧小原村(豊田市)(3/4)
旧足助町から、次に向かったのは旧小原村です。地図を見て、最も近い道を選ぶのではなく、できるだけ標高が低そうな広い道を選んで迂回して向かいました。これ以上雪と重なってはいけないし、リスクは減らせるだけ減らそうと。なので、訪問までに時間はかかりましたが、もちろん致し方なし。
ただ、無事に旧小原村へ入ると、冬らしい茶色の枝木や、見頃の紅葉とは違う、淡いピンク色の桜の花びらが見え始めたのです。しかも、市街地へ近づくにつれて、その本数はみるみる増えていき、とても明るい雰囲気が広がっていました。旧小原村の地域では、「四季桜」というこの季節も花びらを咲かせる桜が、なんと一万本以上植栽されているそうです。支所の周辺もその四季桜が咲いていて、ほかにも観光客たちが訪れていました。
これまでも、冬の時期に花を咲かせる桜の木を見る機会はありましたが、ここまでの規模感で咲いているのを見るのは初めてで、地元や近隣の方々からすれば、あたりまえの風物詩なのかもしれないけれど、ぼくからすれば、知られざる絶景だなあと。どれだけ寒くても、あの淡いピンク色は心にあたたかいものを運んでくれます。
旧足助町から、次に向かったのは旧小原村です。地図を見て、最も近い道を選ぶのではなく、できるだけ標高が低そうな広い道を選んで迂回して向かいました。これ以上雪と重なってはいけないし、リスクは減らせるだけ減らそうと。なので、訪問までに時間はかかりましたが、もちろん致し方なし。
ただ、無事に旧小原村へ入ると、冬らしい茶色の枝木や、見頃の紅葉とは違う、淡いピンク色の桜の花びらが見え始めたのです。しかも、市街地へ近づくにつれて、その本数はみるみる増えていき、とても明るい雰囲気が広がっていました。旧小原村の地域では、「四季桜」というこの季節も花びらを咲かせる桜が、なんと一万本以上植栽されているそうです。支所の周辺もその四季桜が咲いていて、ほかにも観光客たちが訪れていました。
これまでも、冬の時期に花を咲かせる桜の木を見る機会はありましたが、ここまでの規模感で咲いているのを見るのは初めてで、地元や近隣の方々からすれば、あたりまえの風物詩なのかもしれないけれど、ぼくからすれば、知られざる絶景だなあと。どれだけ寒くても、あの淡いピンク色は心にあたたかいものを運んでくれます。
旧藤岡町(豊田市)(4/4)
最後に訪れたのは、旧藤岡町です。市街地の飯野町から北へ進み、「石畳足湯」へ向かいました。足湯は今、ぼくに最も必要とされる場所だという思いもあって、切実な気持ちで。すでに夕方が近づいていましたが、足湯に着くと、お客さんで賑わっています。長細い長方形の湯船をちょうど全員で囲うほどのいろんな人たちがのんびりと足を湯に浸けて、おしゃべりを楽しんだり、ぼーっとしたり、小さな女の子がジングルベルを歌っていたり、とても良い雰囲気の時間が流れていました。ぼくもやっとの思いで足を湯につけて、足が痛いなあとか、この足湯で足が治らんかなあとか思いつつ、束の間のひと休憩をさせてもらったのでした。足湯から出ても痛みは消えませんでしたが、疲れがちょっと取れた感じがあったのは事実です。ここに辿り着くまで大変だったけれど、まずはここまで来れてよかったなあと。
最後に訪れたのは、旧藤岡町です。市街地の飯野町から北へ進み、「石畳足湯」へ向かいました。足湯は今、ぼくに最も必要とされる場所だという思いもあって、切実な気持ちで。すでに夕方が近づいていましたが、足湯に着くと、お客さんで賑わっています。長細い長方形の湯船をちょうど全員で囲うほどのいろんな人たちがのんびりと足を湯に浸けて、おしゃべりを楽しんだり、ぼーっとしたり、小さな女の子がジングルベルを歌っていたり、とても良い雰囲気の時間が流れていました。ぼくもやっとの思いで足を湯につけて、足が痛いなあとか、この足湯で足が治らんかなあとか思いつつ、束の間のひと休憩をさせてもらったのでした。足湯から出ても痛みは消えませんでしたが、疲れがちょっと取れた感じがあったのは事実です。ここに辿り着くまで大変だったけれど、まずはここまで来れてよかったなあと。
というわけで、今日の散策はここまで。岐阜県のバイク屋さんにはお伺いする時間がなく、後日お伺いさせてもらいました。豊田市の旧市町村をすべて巡ることができて、広大な豊田市の全体像を感じることができましたし、失敗もあり、学びもありました。「どうしてそんなことを」と防げた失敗でもあったように思います。命があることに感謝し、失敗を身に染みて感じ、反省し、次に進むことです。起きたことは元に戻りませんから、そうして成長するほかありません。
本日のひとこと
撤退が自分事になった一日でした。極地の旅でよく登場する言葉であり、ぼくの旅は極地ではないわけですが、それでも撤退は身近な言葉になりました。
撤退が自分事になった一日でした。極地の旅でよく登場する言葉であり、ぼくの旅は極地ではないわけですが、それでも撤退は身近な言葉になりました。
旅を応援してくださる方へ
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
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(終わり。次回へ続きます)
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