ふるさとの手帖

市町村一周の旅

城跡やお寺を訪ね、小さなまちを進んでいく。【旧市町村一周の旅(静岡県)|11月23日―597日目)】

城跡やお寺を訪ね、小さなまちを進んでいく。【旧市町村一周の旅(静岡県)|11月23日―597日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【90/171】

90/171
52.63%
訪れた旧市町村の数【1640/2,097】
1640/2097
78.21%
総計【1730/2,268】
1730/2268
76.28%

スーパーカブの総走行距離
40876km

掛川市→旧大東町→旧大須賀町→袋井市→旧浅羽町→旧福田町、の6つ。
今日の旅先のこと
今朝もやさしい光だと思いつつ、この光が差し込むということは、冬の気圧配置であり、日本海側は、雨や雪の天気だよなあ、ということも、同時に思いつつ。今日は掛川市、袋井市、磐田市の旧市町村を進んでいきました。それでは振り返っていきましょう。

掛川市かけがわし(1/6)
外に出ても、冷たい風の吹く朝です。この空を見ていると、あたりまえのように晴れていると感じるけれど、やっぱり日本海側の景色を思い浮かべます。

そして、まずは掛川市街地へ。まだ開場前だったので、掛川城には入らなかったものの、開場前から掛川城公園に訪れている観光客もいて、さすがだなあと。お城から掛川駅までの通りも雰囲気があって、いろんなお店の看板が。それに、掛川駅は新幹線も停車する駅です。こだましか停まらなくても、こだまが停まるのだから、移動も便利だなあと。
掛川城。
電話ボックス。城の近くには、掛川ステンドグラス美術館もあります。
掛川駅。
大手門もありました。
大東町だいとうちょう(掛川市)(2/6)
掛川市街地から南へ進み、旧大東町へ入ります。徐々に道を挟んだ風景も穏やかになり、茶畑も広がっていました。静岡県を巡っているとあたりまえのように見える茶畑だけれど、やっぱりとても良いなあと。

そして、「高天神たかてんじん城跡」へ向かいました。駐車場には車もそこそこ停まっている。武田と徳川の激しい争いがあった地とのことで、のちの長篠の戦いにも大きく影響していました。城は山が急斜面になっており、天然の要塞として、「高天神を制するものは遠州を制する」と言われたと。

駐車場からのぼっていくと、やはり遊歩道が急なので、息を切らしながら天守跡に辿り着きました。木々が広がっている先には、茶畑を含めた景色が見えます。また、南の方角には太平洋も見えて海が近いということも。
茶畑だ。
高天神城へ。険しい地形だなあ。
もう少し。
そして、本丸跡へ。
その後、市街地にも移動すると、海が近いまちという雰囲気が感じられて。どのような点に海が近いということを感じているのだろうと、自分でも思ったけれど、山が見えない平坦な地形で、区画がまっすぐで、畑が多くて、といった感じかなあ、と。千葉県の横芝光町や旭町が、自分の中では思い浮かびました。
バス停。
大東支所。
菊川も流れていました。
大須賀町おおすかちょう(掛川市)(3/6)
旧大東町の市街地から道なりに西へ進み、旧大須賀町に入りました。雰囲気が大きく変わるというより、旧大東町と似た雰囲気も感じるけれど、かつては横須賀城の城下町があったと。

この横須賀城は、先ほどの高天神城を攻略するために、徳川家康が築城を命じたといい、軍事的な目的でつくられ、やがて町ができていくというのは、歴史というものを感じさせます。

市街地を巡ったのち、その横須賀城跡へ行ってみると、丸い石垣がずらっと石垣を築き上げていて。天竜川の丸石をつかって築かれたようで、確かに天竜川には、こんな石がいっぱいありそうだなあと、なるほどと思わされたのでした。
大須賀支所。
番所跡もあった。
お祭りの山車かなあと。
昔ながらの雰囲気も。
横須賀城跡へ。
丸石がいっぱい!
まちも見渡せた。
袋井市ふくろいし(4/6)
次にやってきたのは、袋井市です。まずは市街地からやや東の方角に離れた、法多山尊永寺はったさんそんえいじへ。変わらず茶畑のうつくしい風景を見つつ、尊永寺の駐車場に着くと、もう駐車場がいっぱいで。バイクはバイク用の駐輪場があり、停めることができましたが、駐車場係の人たちは大忙し。

そして、参道へ向かうと、びっくりするぐらいの人で。しかも、すれ違う半分ぐらいの人たちが、手に同じ何かのお土産を持っています。歩いていく中で、それが「厄除けだんご」であると知りましたが、もし知らなかったとしても、誰でも何かを買っているということに気づくので、それを見て自分も買いたくなるというか。しかも、厄除けになる、なんていう言葉も聞いてしまったら、ねえ。

参道まで歩くと汗もかいてきて、ほかの方たちも上着を脱いでいます。これぐらい歩くと、確かに暑くなるよなあと。でも、ギリギリ歩けるぐらいの距離なのが、絶妙です。

そして、ぼくもお土産に買おうかなと迷っていたけれど、賞味期限が翌日だったので、お土産はむずかしいなあと思って、そうすると、店内で食べられるとのことだったので、食べてみることに。なめらかな甘い餡がすごく美味しくて、たくさん歩いてちょっと疲れているときに、体に沁みたのでした。
法多山尊永寺へ。
みんな同じお土産を持っている!
長い参道を歩きます。
ぜえぜえ…着いた!
厄除けだんご、おいしかった…。
その後、袋井市街地にも訪れてみました。前回の旅でも尊永寺を訪れていたので、市街地の雰囲気を知らなくて。袋井駅前では子どもたち向けのイベントもひらかれていて、元気な子どもがいっぱいで。やっぱり、元気な子どもがたくさんいるt心が明るくなります。
袋井駅。
射的が盛り上がってた。
消防車も。
浅羽町あさばちょう(袋井市)(5/6)
袋井市街地から南へ進み、次に向かったのは旧浅羽町です。徐々に雲が増えてきたなあとも思いつつ、市街地へ。浅羽支所の周辺には昔の鉄道や列車が展示されていて、昔は「静岡鉄道の駿遠線すえんせん」が1970年まで約60年間走っていたと。60年間って、長いなあ。それに、鉄道の線路幅が現在の列車よりも狭く、そうした鉄道を「軽便鉄道」と呼ぶそうです。また、訪れてはいないものの、海岸線も旧浅羽町にはあるので、海もそばにある暮らしなのだろうなあと。
浅羽支所。
水辺の鳥たちが。
田んぼがちょっと珍しくも感じる。
あ組だ。
車輪があった。
浅名駅。
福田町ふくでちょう(磐田市)(6/6)
最後にやってきたのは旧福田町です。「ふくだ」と読みそうだけれど、「ふくで」と読むのだなあと。

海が目の前にある「渚の交流館」へ行ってみました。館内には食事処がいくつかあり、美味しそうなしらす丼も売っていて。さっき入口では、福田漁港はしらすが豊かだとありました。なので、食べたいなあという気持ちがギリギリまでやってきたけれど、今日は時間の都合で我慢。そして、港の方では釣りをしている方たちもたくさんいました。

また、津波避難タワーが併設されており、地上に係の方がいて、出入り自由とのことで、のぼってみることに。屋上までは15mの高さで、すごく高い場所にいるように思えるけれど、この近くまで津波が来るのかもしれない、ということであれば、やはりいろんな常識を捨てる必要があると思ったのでした。
渚の交流館。
しらす、いいなあ。
釣り人も。
津波避難タワー。
海だ。
市街地にも訪れてみると、支所には広島東洋カープにドラフト指名された赤塚健利選手の紹介ポスターがありました。よく、懸垂幕や横断幕はあるけれど、ここでは紹介ポスターで、経歴もかかれていたので、そういう紹介っていいなあと。
福田支所。
赤塚選手、がんばってください!
というわけで、今日の散策はここまで。小さな土地にも日常が流れている。それが豊かさだと感じつつ、旅を続ける日々です。
本日のひとこと
今日のおもしろかった看板。
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(終わり。次回へ続きます)

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