ふるさとの手帖

市町村一周の旅

いよいよ山梨県から静岡県へ。【旧市町村一周の旅(山梨県ー静岡県)|11月14日―588日目)】

いよいよ山梨県から静岡県へ。【旧市町村一周の旅(山梨県ー静岡県)|11月14日―588日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【87/171】

87/171
50.88%
訪れた旧市町村の数【1605/2,097】
1605/2097
76.54%
総計【1692/2,268】
1692/2268
74.60%

スーパーカブの総走行距離
40030km

南部町→旧富沢町→(静岡県へ)
旧芝川町→富士宮市→旧富士川町→旧蒲原町→旧由比町、の計7つ。
今日の旅先のこと
今日で山梨県の旧市町村の旅も最後になります。そして、次に訪れたのは静岡県。旅の中では、相当久しぶりに太平洋を見ることもできました。それでは振り返っていきましょう。

南部町なんぶちょう(1/7)
泊まっていた身延町では、朝8時にベートーヴェンの第九が流れたのでびっくりしました。エーデルワイスとか、蛍の光とか、まちのオリジナルソングとかは流れているのを聴いたことがあっても、第九は流石に初めて。ちょっとポップな曲調だったけど、それでも個性ありますよねえ。
朝の身延町。
さて、南下して南部町に入りました。メインの国道ではない道を通ったので、比較的落ち着いて走ることができました。市街地が見えてくると、富士川の河岸段丘であろう傾斜部の上に、石積みの畑や団地が広がっています。そして、市街地の内船駅の周辺では、花の水やりをするお母さんや、おじいちゃんたちのおしゃべりと、ゆったりした朝の時間です。小さな川が何本か富士川へ合流しているのも印象的でした。みるみる富士川に吸収されていく。
南部町へ。
富士川。雲が増えてきました。
南部分庁舎。
小さな川が多くて。
うっすら、内船(うつぶな)が見える。
富沢町とみざわちょう(南部町)(2/7)
富士川は両岸にまちが広がっているのですが、旧富沢町に向かうまでは左岸側を進んで、市街地の直前で右岸へ移りました。その辺りで対岸から見た右岸のトンネルが背骨みたいに見えて、トンネルってすごいなと。

富士川は両岸にまちが広がっているのですが、旧富沢町に向かうまでは左岸側を進んで、市街地の直前で右岸へ移りました。その辺りで対岸から見た右岸のトンネルが背骨みたいに見えて、トンネルってすごいなと。あと、目の前を走っていた車が静岡トヨタの富士山ナンバーでした。というのも、ここまでの山梨県では富士山ナンバーが多かったけれど、静岡県でも富士山ナンバー? と疑問に思ったわけです。あとで調べてみたら、富士山ナンバーは山梨県と静岡県どちらにもあるのだそうです。わあ、知らなかったなあ。具体的な都道府県の地域性を表すプレートナンバーが、県境を跨ぐって、富士山は偉大だなあ。

「道の駅 とみざわ」辺りを散策しました。シンボルは大きな伸び盛りのタケノコのモニュメント。国道沿いだからみんな「ああ、あのタケノコね」と覚えちゃうんじゃないかな。富沢小学校の近くには、「富小」の文字もあって、きっと地元ではそう呼ばれているであろう省略語を見つけると、なんだかうれしくなります。
旧富沢町へ。トンネルがすごい。
南部町役場。
道の駅のタケノコ。
懐かしい建物。
西の山手には高速道路が通っていました。
芝川町しばかわちょう(富士宮市)(3/7)
ここで、いよいよ静岡県へ。国道から東へ進んで県境を越え、しばらく進むと旧芝川町の景色がひらけました。釜口峡という場所へ行ってみると、渓谷らしい狭さとゴツゴツした岩場が富士川の両サイドを占めています。富士川の中でも、釜口峡はとても狭い川幅だそうで、江戸の頃も流れが急だったとありました。

個人的には、芝川出張所周辺の歩道がすごく狭くて、欄干はあるけれど低く、真下に川があり、真横を大きなトラックがバンバン通っていくので、ちょっと怖かったです。

でも、芝川の上流へ進んでいけば、景色がひらけていたっぽいなあ、とあとから地図を見て気づいたので、出会った景色によって感じる印象も違うかもしれません。芝川のさらに上流には、有名な白糸の滝もありますから。
芝川会館。
品評会かな。
釜口橋。
富士川うねうね。
狭い釜口峡。
身延線も近くを走ります。
芝川駅近く。
富士宮市ふじのみやし(4/7)
旧芝川町から富士宮市街地へ向かいます。事前に標高差をあまり把握していなかったのですが、富士宮市街地が見えると、そのまま降りきってしまうのがもったいないぐらい、景色が良くて。今日は富士山が見えない日だけれど、すごくいい景色だなあと、しばらく景色の良いところを探しました。写真を撮るにはむずかしかったのですが。

その後、「富士山本宮浅間大社」へ。山梨県でも、富士山にまつわる神社はあったけれど、静岡県ももちろんあるわけだなあと、あらためて思わされます。平日でも、七五三で来ている家族連れの方々がすごく多かったです。

神社へお参りしたあと、商店街を少し歩いてみると、ああ、これは、焼きそばのいい匂い。「富士宮焼きそば」とかかれたのぼりがずらっと並んでいます。気を逸らさないようにして、まちを歩こうと思ったわけですが、いま富士宮焼きそばを食べないで、いつ食べるの? ともう一人の自分の声が聞こえてきて、確かにそうだ、食べなくてどうする、と、いつの間にかお店に吸い込まれたのでした。

富士宮焼きそばの大盛りを注文。お母さまがすごくおしゃれな方でした。焼きそばには細かな削り粉がのっていて、麺が細麺だと食べてみて気づきます。それに、かなりこしがあっておいしい。このお店では北海道から麺を取り寄せているとありました。あと、お店の方と別のお客さんの会話を聞いてしまったところによると、富士宮焼きそばは、肉かすが特徴ですねと。肉かすがコクを生みますと話していて、おお、そういう秘密があったのか、と意識せず食べていたおいしさにも気づくことができたのでした。
富士宮市街地が見えてきました。いい景色だった。
富士山本宮浅間大社。
周辺の雰囲気も良い。
お店に入ろう。
富士宮焼きそば、おいしかった。
おお〜。
富士川町ふじかわちょう(富士市)(5/7)
次に向かったのは、旧富士川町です。現在はなくなってしまった町名だけれど、山梨県には今も富士川町があるので、ちょっとややこしいですね。でも、同じ川の流れを有しているわけですから、どっちも仲間です。

訪れてみた「道の駅 富士川楽座」は、三日間の全面休業の三日目で残念。ただ、シンボリックな観覧車は動いているし、向かいのサービスエリアは営業中。下道からでも入ることができます。

ふと、サービスエリアに入ってみると、広いフードコートと土産売り場があり、まさに高速道路のサービスエリアそのものだったのですが、サービスエリアと道の駅って、似ているようで違うし、違うようで似ているなあと思いました。見た目の印象はお互いに違うけれど、海外の人に違いを説明しようと思ったら、すごくむずかしい気がして。この点、ほかの人の意見も聞いてみたいです。
道の駅 富士川楽座。この日は休館中だった。
観覧車もある。
富士川駅。
旧東海道も歩くきました。
蒲原町かんばらちょう(静岡市)(6/7)
さて、次にやってきたのは静岡市の旧蒲原町です。旧五十嵐歯科医院を目指して進んでいったところ、「旧東海道見学者用駐車場」があって、とっても助かります。

そうか、旧蒲原町は旧東海道の宿場町だったのか、と駐車場から知ったわけです。その通りに旧五十嵐歯科医院もあって、真横で大きな工事が行われていたので中には入りませんでしたが、通りには窓に切り絵が貼られていたり、みかんの無人販売があったり、フリーに座っていいよとかかれたベンチがあったり、この地域に住んでいる方たちのちょっとしたこころくばりが感じられて、とても好きでした。

また、蒲原海岸にも行ってみると、久しぶりの太平洋の海が、波音を立てています。淡い灰色の海岸で、ギリギリの波打ち際は砂、少し手前は丸石。波がやってくると、シュワシュワシュワと砂の下に波が吸い込まれていくのでした。堤防も高く、その上をバイパスが走っていました。
蒲原の旧東海道へ。
旧五十嵐歯科医院。
無人販売の傘。
海の方へ。
久しぶりの太平洋だ。
由比町ゆいちょう(静岡市)(7/7)
最後にやってきたのは、旧由比町です。「東海道広重美術館」を中心に散策しました。名前の通り、美術館では広重に関する展示が多く、これまでも広重のことを展示で見たことはあるけれど、忘れてしまってもいるので、また思い出すように見て。広重以外の浮世絵の作品もたくさん展示されており、面白かったです。あとはゴッホが描いたという広重の浮世絵の模写も、インパクトがありました。似ているけれど、全然違って。

それに、この地域では駿河湾で桜エビがとれるので、桜エビに関するお店の看板なども多かったです。
旧由比町へ。
桜えびのまちでもあるなあ。
清水銀行の建物が重厚だ。
静岡市東海道広重美術館。
館内は撮影禁止。すごく面白かったです。
由比川。
ミシマのジューニブン。
散策のあと、大学の先輩が営んでいらっしゃる三島のシェアハウスまで移動しました。一度伺ったことがあるけれど、お会いするのは久しぶりで。平日になってしまったのですが、おいしい食卓を囲ませてもらい、住人のみなさんともお話ができて、とってもたのしい時間でした。いろんな気遣いをしていただいて、頭が上がらなかったです。
左は大学の先輩の宮迫さん。
しらす、桜えび、ほかにも新鮮なお魚をいただいたのでした…。
お利口で可愛い甲斐犬も一緒。
また会おうね。
 
本日のひとこと
カブの総走行距離の4万キロに達したのは、ちょうど富士川の橋の上でした。
旅を応援してくださる方へ
「どこで暮らしても」の商品ページに飛びます。
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら

(終わり。次回へ続きます)

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

RECENT ARTICLES

Follow me