ふるさとの手帖

市町村一周の旅

誰かにとっての思い出がある。【旧市町村一周の旅(山梨県)|11月13日―587日目)】

誰かにとっての思い出がある。【旧市町村一周の旅(山梨県)|11月13日―587日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【87/171】

87/171
50.88%
訪れた旧市町村の数【1598/2,097】
1598/2097
76.20%
総計【1685/2,268】
1685/2268
74.29%

スーパーカブの総走行距離
39931km

旧鰍沢町→旧六郷町→旧中富町→旧下部町→身延町、の5つ。
今日の旅先のこと
山梨県の旅もいよいよ終盤に。そして、今日は旧六郷町で、知り合いの方とお会いすることもできました。ゆかりのあるまちを案内してもらって。やはりどんな土地にも、誰かの思い出があることを感じた1日です。それでは振り返っていきましょう。

鰍沢町かじかざわちょう(富士川町)(1/5)
旧鰍沢町には、前日から泊まっていました。まず、「鰍沢かじかざわ」と読むということに驚いたし、慣れるまで少し時間もかかったけれど、いざ読めるようになると、すごく愛着が湧いてくる地名です。朝、小学校のグラウンドでは生徒さんたちがラジオ体操をしていました。本通りの建物には昔ながらの趣も残っていて、ふと家と家の間に赤い鳥居を見つけて、「出世稲荷」と文字が。その先が、高台になっていたので、景色が見えるかもしれないと思って登ってみようと。確かに見晴らしもよく、小さく参拝もできて、ひたすらに清々しい。それに、電信柱には落語の舞台だと紹介されていました。古典落語に「鰍沢」の演目があると。面白いなあ。
宿での朝。
奥にはうっすらと霧。
船みたいなベンチ?
出世稲荷を発見。
登ってみたのでした。
鰍沢のまちなみ。
落語の舞台だと。
富士川もきれいで。
六郷町ろくごうちょう(市川三郷町)(2/5)
さて、旧鰍沢町から山道に入り、トンネルを抜けたところで旧六郷町に入りました。富士川沿いに広がる山間部の地域。市街地は昨日訪れた市川三郷町の市川大門や三珠とまた違う気配を感じます。
旧六郷町へ。
ハンコの里 六郷。
トイレの文字がむつかしい。
そして、旧六郷町では、もりえみさんという旧知の方とお会いすることができました。お母さまが六郷のご出身で、かっこいい車にバチっと決まった服装でご登場されたので、最初は緊張。でも、その後おうちに伺ってお話をしていくと、やさしくやわらかい方でした。
もりえみさん、ご無沙汰しています!
そして、今回はもりえみさんが幼い頃に登ったことがあるという、富士見ふれあいの森公園の先にある、仏舎利塔を見にいくことに。爽やかな青空のハイキングで、途中からは休憩も何度かはさみ、やがて汗もかくぐらいの暑さを感じたけれど、最後に巨大な仏舎利塔が見えたときは、まさかこんなにも立派だとは思わなくて、すごいなあと。真っ白な塔と青空だったので、ピカーんと輝いていました。
富士見ふれあいの森公園から、仏舎利塔を目指します。
見えた!白い!
山の上に、おっきかったなあ。
お昼もご馳走になりました。すごくおいしかった。
おいしいお弁当。
その後、おうちに戻って昼食をご馳走になり、印章資料館へ。六郷は水晶の産出から篆刻てんこくが盛んな土地で、現在も全国の生産量の50%を占めるほどの「ハンコの里」であると。資料館ではヒスイ、水晶、象牙、黒曜石などなど、いろんな材質でつくられたハンコがあったし、複雑な古い書体もたくさんあって、目が回るようで。小学生たちがつくったハンコの出来も素晴らしく、ハンコが身近な存在として育つのだなあと。
印章資料館。印章とはハンコのこと。
日本一の巨大はんこ。
館内へ。
目がくるくるする。
最後に、もりえみさんがよく遊んでいた富士川沿いの河川敷を散歩して、お別れとなりました。「ここでザリガニをとってたんです」とか、「家と家の間をすり抜けるように」とか、子どもの頃のなつかしい思い出話って、聞いていると、ああ、自分もそういうことがあったなあ、と重なるのを感じました。ゆかりのある土地が違っていても、いろいろと共通するものがある気がするなあと思えて、どんな土地でもいいから、そういう場所があったならば、すごく幸せかもしれないなあと思いました。子どもが子どもらしくいることのできる場所が。
空も広々と感じられました。
もりえみさん、今回はお忙しいところ、お時間をつくっていただきほんとうにありがとうございました!

中富町なかとみちょう(身延町)(3/5)
さて、旧六郷町から富士川を西に渡るとすぐに、旧中富町に入りました。最初に着いたのは西嶋という地区で、和紙が有名だと。「西嶋和紙の里」は和紙を中心にした複合施設で、今は長期休館中の様子。来年には道の駅としての再オープンを予定しているとのこと。

その後、国道52号線を通って、身延町役場へ。国道52号線がこの地域の大動脈だなあと感じるし、富士川もすぐそばにあって、眺めるだけでも気持ちよかったです。
旧中富町へ。
西嶋(西島)は和紙の里。
和紙の里は工事中でした。
身延町役場へ。
富士川も近い。
下部町しもべちょう(身延町)(4/5)
今度は富士川の東へ進み、旧下部町へ。まずは「下部温泉」を目指してみました。もりえみさんやお母さんも、何度か行ったことがあると仰っていたので、どんな場所だろうと。下部温泉駅に着いてマップを見ると、駅からもう1km先にメインの温泉街があるとのことで、そこまで移動。すると、下部川沿いに昔ながらの温泉街が広がっていました。

宿を目指して歩く観光客がいる中で、閉館してしまっている宿もあって、最も栄えていた時期から比較すれば、静かな温泉街になってしまったのかもしれないけれど、ここにも温泉街があるのだなあということは、旅の大きな出会いでした。下部温泉は「信玄公のかくし湯」と言われていて、かくし湯なんていう場所があるのか、という点からもびっくりです。
下部温泉駅。
温泉街へ。
なつかしい感じがしますよね。
その後、下部市街地へ。川沿いに景色がひらけて、本栖高校と甲斐常葉駅の距離を示した看板が、民家の窓などに貼られていました。最初は、ほぉ、高校かあ、と思ったわけだけれど、よくよく見ると、文字の上に絵があって、「あっ、これは、ゆるキャンか!」と。どうやら本栖高校は実存しない校名で、ゆるキャンの聖地として、登場する本栖高校と現実が織り混ざっていると。

今日ほど、ゆるキャンを見ていなくて後悔した日はありません。もっと知っていたらなあ。聖地巡礼しているわけですから。
下部市街地へ。
←甲斐常葉駅 本栖高校→
ギリギリ西陽も。
身延町みのぶちょう(5/5)
最後にやってきたのは、合併前から身延町だった地域です。言わずと知れた「身延山久遠寺」も位置していますが、今回は登る時間が流石にないなあと断念。前回は、石段を必死になって登ったのでした。

そして、今日は素泊まりの宿舎で、周辺に食事処も少なそうだったので、事前に買っておきたいなあと調べて、地元のスーパーを発見。着いたけれど、駐車場が明らかにおうちのガレージなので、停めていいものかとあたふたしていたら、お店からお父さんが出てきて、うんうん、そこ停めな! と。

お父さんが「何が欲しい?」と聞いてくれて、夜の食事用です、ということから、君は旅をしているのか、と話が転じて、いくつかお話をしていると、息子さんは今オーストラリアにいて、ヤンチャな旅もしてるということも教えてもらいました。身延から、オーストラリアかあ、かっこいいなあ、と。そして、お惣菜と天ぷらを購入。ちなみ特産の湯葉を天ぷらにしたものを、あとで食べてみたら、すんごくおいしかったです。おいしいよ、と教えてくれてはいたけれど、おいしさ度合いに油断していました。

その後、久遠寺の総門まで行ってみて、身延駅の周辺を散策し、今日の活動は終了です。
身延町へ。総合文化会館。
山の上の方が紅葉している。
おじゃましました。
久遠寺の総門。まだまだ入口だけれど、立派だ。
身延駅近くへ。
身延駅。
身延山へ行くんだなあ。
駅前はきれいに整備されていました。
というわけで、今日の散策はここまで。旧六郷町で濃い時間を過ごさせてもらって、これまで山梨県で知り合いの方に会うことがなかったのですごくうれしかったですし、思い出ができました。甲府盆地を離れても、いいところがいっぱいだなあと感じます。
本日のひとこと
朝の結露を見ていると、ようやくだなあと思うし、うんうん、この季節、結露は大事だ、と感じます。
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(終わり。次回へ続きます)

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