ふるさとの手帖

市町村一周の旅

東御市から佐久市へ。浅間山も近づいて。【旧市町村一周の旅(長野県)|10月17日―560日目)】

東御市から佐久市へ。浅間山も近づいて。【旧市町村一周の旅(長野県)|10月17日―560日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【87/171】

87/171
50.88%
訪れた旧市町村の数【1522/2,097】
1522/2097
72.58%
総計【1609/2,268】
1609/2268
70.94%

スーパーカブの総走行距離
38678km

旧東部町→旧北御牧村→旧望月町→旧浅科村→旧臼田町→佐久市、の6つ。
今日の旅先のこと
今日も少しずつ、長野県の旅を進めます。上田市街地を出発し、東御市と佐久市を訪れました。上田市から佐久市までは40km足らずで、真っ直ぐ向かえば早いだろうけれど、小さなまちに立ち寄りながら進んでいきました。それでは振り返っていきましょう。
東部町とうぶまち東御市とうみし(1/6)
朝8時に上田市を出発。雲は多いけれど、空は明るい。

まずは旧東部町にある、北国街道の「海野宿跡」を目指した。ここ数日よく利用している国道18号線を進む。ただ、朝の通勤ラッシュでかなり渋滞していて、ゆっくりと進んでいった。

そろそろ着くかな、と思っていたところ、ここが明らかに海野宿だという通りがあった。電線が埋め立てられていて空が広い。道の舗装の色も明るいベージュで、景観が大切に守られた町並みだ。舗装された車道の横には砂利の歩道もあり、さくっ、さくっ、と音が鳴るのも心地よかった。
海野宿跡へ。
資料館だ。
日差しが出てきた。
この奥に海野宿があった。
また、東御市の市街地でもある田中駅周辺も少し歩いた。駅の横には温泉もあり、駅前の通りに居酒屋やちゃんこ屋、スナックなどが並ぶ。それに、東御市のポスターには「くるみ」が代表的な農産物だと紹介されていた。知らなかったなあ。
温泉だ。
田中駅。
とうみレッツ号。
北御牧村きたみまきむら(東御市)(2/6)
田中駅からすぐに右折した道をそのまま進み、旧北御牧村へ。まもなく市街地に着くころ、「東部町‥‥北御牧村‥‥」とぼんやり考えていたら、「あっ!“東”と“御”で東御市だ!」と気づいた。

市街地は自然に囲まれ、北御牧小学校や北御牧公民館はそれぞれ赤茶色の屋根で、とても立派だ。公民館の前には「天空の芸術祭」ののぼりとともに、海の写真が展示されていた。海のない長野県で、海の写真。コンセプトがあるのだろうなあと。
旧北御牧村へ。
おはよう。
海の写真だ。
それから、「芸術むら公園」の近くまで行ってみることに。急な坂道をうねうねとのぼっていくと、ガラッと雰囲気の変わった高原の景色になった。まるで違うまちになったみたいに。

芸術むら公園近くに着くと、散策か何かがあるようで、10人ほどが説明を受けていた。その横をスッと歩きながら、遠くを見渡すと広々とした景色だ。急に屋上に来たような風景で、確かに“天空”という言葉にも納得したのだった。
明神池のそば。
奥は絶景だ。
望月町もちづきまち(佐久市)(3/6)
ここからは佐久市に入る。小諸市を通らずに、南からぐるっと迂回するようにして旧望月町へ訪れると、町の雰囲気や各所の看板から、望月宿の宿場町であるとわかった。どうやら中山道である。旧東部町の海野宿は、北国街道だった。いろんな街道が近いような遠いような距離感であったのだなあと。

散策をしていても、町並みと一緒に望月の名前が残っていると感じられて、中山道の地名であれば、これからも残り続けるんじゃないかなあと思った。
旧望月町へ。
望月宿。
「当旅館は犬神家一族の映画で那須ホテルとして使用された旅館です」
細い路地。
鹿曲川と。
浅科村あさしなむら(佐久市)(4/6)
次に進んだのは、旧浅科村だ。山に囲まれた望月宿から雰囲気が変わって、遠く浅間山の景色も見えはじめた。まだ雲に覆われているけれど、見晴らしが良くなり、土地も高原か台地の感じがする。

市街地を移動している途中には、自動車学校「軽井沢西ドライビングスクール」もあった。ここは旧浅科村だし、佐久市だけれど、「軽井沢西」という言い方もあるのかあと。意図も感じるし面白い。

その後「道の駅 ほっとぱ~く浅科」にも立ち寄って、いくつか買い物もした。
浅科支所。

柿の木。
台地だ。

道の駅 ほっとぱ~く浅科へ。
自分で芝を刈ってた。
臼田町うすだまち(佐久市)(5/6)
佐久市の南に位置する旧臼田町へ向かう。臼田支所の周辺は暮らしやすそうな住宅街が広がっていた。長野県で有名なスーパー「ツルヤ」も賑わっている。道路標識には「韮崎」も現れて、山梨県もちょっとずつ近づいていると感じた。
臼田支所。
商店街だ。
そして、「龍岡城跡」を訪れた。松平乗謨のりかたが西洋の築城技術を取り入れて築いた平山城跡で、なんと星型の五角形をなしている。いわば五稜郭だ。そして、この五稜郭は日本に函館とここ、ふたつしかないと。

そもそも、ここにも星型の城があったのだ、ということが驚きだった。散策していくとお堀が残っていて、曲がり方が90度以上の鋭角のところがある。すなわち星の形になっている、と看板でも説明してあった。城跡内には田口小学校があり、今も学校があるのかなと思ったけれど、静かだったから閉校したのかなあと。調べてみると、2023年3月に閉校してしまったと。

また、松平乗謨は幕末後に大給恒おぎゅうゆずるの名を持ち、佐野常民とともに日本赤十字社の創設に大きく関わったという紹介もなされていた。なるほど、ここで佐野常民の名前が出てくるのか。知っている人物と、知らない人物のときがあるけれど、佐野常民は旅で知った人物だ。紹介の通り、日本赤十字社の創設者である。ここでつながっているのもとても面白い。
龍岡城跡の近く。
高い石垣だ。
城跡には旧小学校。
ジグザグなお堀、あまり見ないですよね。
星の角のところ(たぶん)
佐久市さくし(6/6)
最後にやってきたのは佐久市だ。前回の旅では、新幹線が停まる佐久平駅周辺を訪れたけれど、今回は違う場所へ行ってみようと。まずは「ぴんころ地蔵」へ。参道はハロウィン仕様になっていて煌びやかだった。その奥は成田山不動明王堂になっていて、静かに参拝。

さて、ここでぼくは勘違いをしていて、本堂に参拝することがメインで、ぴんころ地蔵というのはこのお寺の総称かと思っていた。だから本堂に参拝して、そのまま駐車場へ戻ろうとしていたわけだけれど、ふと、ご夫婦に声をかけられた。

「すみません、この写真ってどこですかねえ?」そこにはお地蔵さんの写真が写っている。そして、このお地蔵さんが、「ぴんころ地蔵」なのだと。なぬっ、そういうことだったのか。

と、ぼくも一緒になって探してみると、本堂に入る手間の入口に、ふつうに建っていた。すなわち、通り過ぎていたのだった。ご夫婦に「見つけましたァ!」と報告して、お互いに良かったですねえと。山梨県からやってきたご夫婦のおかげで、ぴんころ地蔵に参拝することもできたのだった。
ハロウィン仕様の参道。
輪投げだ。
成田山不動明王堂。
ぴんころ地蔵。参拝できた。
その後、佐久市役所の周辺へ。浅間山の雲は徐々に晴れてきて、壮大な姿はとにかく見事だ。また、夕食には「あっぷるぐりむ」というご当地レストランに立ち寄ってみて、「ジャンボ海老フライの玉子とじ定食」を注文。熱々のエビが玉子でとじられ、ジュワッ、サクッとぷりぷりで。あと3日ぐらい通って、ほかのメニューも食べてみたかった。
佐久市街地へ。
佐久市役所。
あっぷるぐりむ。
ジャンボ海老、美味しかったです。
雲と浅間山。
というわけで、今日の散策はここまで。まだまだ長野県の旅はつづきます。しっかりと休んで、またがんばっていきましょう。
本日のひとこと
日没が早くなってきたけれど、できるだけ影響を受けないように進められたら、というスタンスでいます。
旅を応援してくださる方へ
「どこで暮らしても」の商品ページに飛びます。
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら

(終わり。次回へ続きます)

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

RECENT ARTICLES

Follow me