ふるさとの手帖

市町村一周の旅

城跡、温泉、千曲川。長野市から上田市へ訪れる。【旧市町村一周の旅(長野県)|10月15日―558日目)】

城跡、温泉、千曲川。長野市から上田市へ訪れる。【旧市町村一周の旅(長野県)|10月15日―558日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【87/171】

87/171
50.88%
訪れた旧市町村の数【1516/2,097】
1516/2097
72.29%
総計【1603/2,268】
1603/2268
70.68%

スーパーカブの総走行距離
38603km

長野市→旧更埴市→旧戸倉町→旧上山田町→旧真田町→上田市、の6つ。
今日の旅先のこと
今日は中野市街地を出発し、長野市、千曲市、上田市と進んでいきます。古戦場や城跡、千曲川に温泉と、いろんなジャンルの場所を訪れながら。それでは振り返っていきましょう。
長野市ながのし(1/6)
朝8時10分に中野市を出発し、最初の目的地「川中島古戦場跡」まで、1時間かかった。移動中はいろんな小さなすれ違い。朝から校庭で遊んでいる子どもや、荷台にリンゴをカゴいっぱい乗せた軽トラ。やがて小布施町を通過し、長野市の川中島古戦場跡に着くと、広々とした公園に八幡社があった。そこには上杉謙信と武田信玄の一騎打ちの銅像が堂々と建っている。

かの有名な川中島の合戦について、展開や決着はほんとうに諸説あるようで、銅像のシーンである上杉謙信と武田信玄が一騎打ちをしたかどうかも、明確には定かではないと。ただ、歴史上とても重要な戦いだったことは確かで、ここで歴史が大きく動いていたという過去に、わたしたちは心動かされるのだ。
川中島古戦場跡へ。
見晴らしの良い広場も。
武田・上杉両雄一騎討ちの地。
八幡社が建っており、
武田信玄、上杉謙信の一騎打ち像が。痺れます。
また、松代城跡にも向かった。武田信玄が上杉謙信との川中島の合戦に備えて築かせた城で、江戸時代からは真田氏が松代を治め、10万石の城下町として発展した。ゆったりした景色と石垣で、葉が大きく枝垂れている立派な木が印象的だ。南東の方角にはこぢんまりとした雰囲気のある、皆神山も見えた。
松代城跡へ向かう。
皆神山。
城跡を歩こう。
この大きな木がとても印象的だった。
更埴市こうしょくし千曲市ちくまし(2/6)
次に向かったのは、千曲市の旧更埴市。更埴、という地名は馴染みがなかったけれど、かつては市だったのだなあと。「森将軍塚古墳」のある科野の里歴史公園には古墳館や歴史館も建っている。公園には5世紀前半のムラを再現した集落も。肝心の森将軍塚古墳へは、公園から徒歩20分ほどかかる場所にあり、行きたいけれど、今日は時間があまりなくて諦めてしまった。ただ、写真を見る限りとても見晴らしのいい古墳なのだと思う。また機会を見つけられたら。
科野のムラを散策。
森将軍塚古墳は、プチハイキング。
資料館もある。
そして、更埴市街地というよりも、千曲市街地を少し散策した。確かに更埴という地名も見つけたし、市街地は屋代という地名も多い。更埴ナンバーの原付を見つけたときには、更埴がとても身近に感じられたのだった。

千曲橋を徒歩で渡ると、南側の景色は丘の斜面から千曲川が流れ出てくる錯覚で、とてもダイナミックだった。景色も含めて、千曲川らしい姿なんじゃないかな。
千曲市役所。
ほんとうにそうです。
千曲川と暮らしと。
山からそのまま流れ出てくるように見えた。
戸倉町とぐらまち(千曲市)(3/6)
大きなバイパスまではいかないけれど、一車線で交通量が多く、両サイドにはいろんな店が並ぶ国道を進んで、旧戸倉町へ。チェーン店の名前も更埴店から戸倉店へ変わっていった。通りの奥には古い家と新しい家の両方が見える。

戸倉駅に着くと、「戸倉上山田温泉」とかかれた大きなアーチ状の看板が。駅舎には老舗の喫茶店もあって、お父さんがちょうどお店に入っていった。店内からは賑やかな声が聞こえる。常連さんたちが集まる場所なのかな。

そして、周辺を散策すると交差点にはなんじゃこれはという茅葺の巨大な建物が。しかも、お蕎麦屋さんとして現役の建物だった。この建物が生きているってすごいなあと。
戸倉駅前に、「戸倉上山田温泉」の文字。
ほんとうに大きな茅葺の建物だった。
東側は山が近い。
上山田町かみやまだまち(千曲市)(4/6)
千曲川を渡る橋の上から、戸倉上山田温泉の建物が見えた。手前は旧戸倉町で、その奥に並ぶ形で旧上山田町が続き、戸倉上山田温泉と呼ばれている。遠目からでも大きな温泉街に見えたけれど、いざ温泉を歩くと立派な宿たちも並んでいて、温泉街らしい雰囲気だ。

特に、味のあるスナックや飲み屋の看板が多くて、それだけの数があるということは、それだけの観光客がいたというわけだ。古き良き時代の香り。もちろん、今も観光客はいるし、丁寧にメニューがかかれた雰囲気の良いお店もあって、静かなお店もあれば続いているお店もあるのだろう。
戸倉上山田温泉を歩く。
新世界。
東屋と足湯もあった。
宿の湯にのばす命や千代の秋。
懐かしい雰囲気。
ほろよい銀座。
手書きだ。
メイン通りは柳並木だった。
真田町さなだまち(上田市)(5/6)
坂城町を通過して、上田市の旧真田町を目指す。上田バイパスに乗ってからは上田市街地のまちなみがよく見えた。住宅の屋根でビッシリと平野部が埋まっている。それからバイパスを東へ折れて、大きな山並みに向かって進んでいく。山へ近づいていくイメージで、ゆるやかに。と、思っていたけれど、「真田氏歴史館」に向かうには、旧真田町の市街地からさらに相当な坂道を登った先にあって驚いた。

やっとの思いで真田氏歴史館に着いたけれど、ひと足さきに来ていた水戸ナンバーのおじいさんが、「今日は、休館日みたいですよ」とやさしく教えてくれた。
真田氏歴史館。今日は休館日。
真田氏の名は、今も生きている。
真田氏館跡。
それは仕方がないと気持ちを切り替えて、真田氏本城跡へ。歴史館からさらに山を登ったので、どれだけ高い場所にあるのだろうと。

そして、城跡に着くと、さっきの水戸ナンバーのおじいさんも来ていた。標高は895mとあり、眼下の景色は壮大そのもの。それにしても、岐阜県で訪れた山城・岩村城は717mの高さを誇っていたのに、悠々と超える標高である。すさまじいなあ。
道中の景色も爽快だった。
真田氏本城跡へ。上田城ができるまで、ここに本拠地があったと。
標高900m付近の地域だ。
景色もすばらしかった。
上田市うえだし(6/6)
最後に向かったのは、上田市街地。もし時間があれば、別府温泉にも訪れてみたかったけれど、今回は上田城跡の周辺へ。バイクも駐輪できる観光駐車場には、車はたくさん停まっていても、バイクは一台もなかった。やっぱり週末と平日ではバイクの数が全然違う。

城跡は入口の橋のところまで来て、6年前の旅で訪れたときの景色と重なった。「わ、ここ、来たことある!」と記憶がよみがえる感覚はとても不思議だ。

前回と違ったのは、遺跡の発掘調査が行われていたこと。調査のために大きく閉鎖された箇所があり、この日も何人かで作業が行われていて。上田城跡もまだまだ、アップデートしていくお城なのだなあと。

何より、上田城跡は真田氏の歴史を紡ぐ城。ここでは激しい戦いも繰り広げられている。真田氏が徳川の大軍を一蹴した第一次上田合戦、第二次上田合戦がどのような戦いだったのか(諸説はあるけれど)を見ていくと、真田氏の信頼関係と、結束力を感じるのだった。主に徳川軍と敵対したわけだが、今もなお多くのファンに愛されているということは、やっぱり真田氏の生き方に惹かれるものがあるからだよなあと。
上田城跡へ。
発掘調査だ。
東虎口櫓門。
巨大な真田石。
市街地も見えた。
城跡を出て、北国街道の柳町へ向かって歩く。三の丸も、ゴリゴリに戦いがあった激戦地だ。
その三の丸辺りが、中心街になっていた。
池波正太郎は真田氏の物語も残しているのだなあ。
北国街道の柳町へやってきた。
良い雰囲気の宿場町。
最後に上田城へ戻ってくる頃には、日差しが再び出てきた。
というわけで、今日の散策はここまで。川中島の合戦も、松代城や真田氏本城、上田城の歴史も、ぼくは知識がないので現場で雰囲気を感じて、それからあとで調べていくのですが、「なんだなんだ、すごく面白いじゃないか」と。けっきょく、何に惹かれるかというと、その時代を生ききり、少なからず名前を残した人たちの、信条というか、心情というか、考え方というか、生き方というか。ぼくらはたまたま、今の時代を生きています。もし戦国時代に生まれて、命をかけて何かに取り組むとき、自分ならどうするだろうかとか。でも、そうした生き方は、現代だって形を変えて、当てはまることがあります。だから、自分の心に照らし合わせたときに、いつのまにか惹かれていくものがある。とにかくぼくらにできることは、この時代をこの時代として、生ききることでしょうか。
本日のひとこと
明日は旅の休養日とさせていただきます。休養日も大事に過ごせたらと、いつも。
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(終わり。次回へ続きます)

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