ふるさとの手帖

市町村一周の旅

県庁所在地に点在するまちを訪れよう。【旧市町村一周の旅(富山県)|10月11日―554日目)】

県庁所在地に点在するまちを訪れよう。【旧市町村一周の旅(富山県)|10月11日―554日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【87/171】

87/171
50.88%
訪れた旧市町村の数【1495/2,097】
1495/2097
71.29%
総計【1582/2,268】
1582/2268
69.75%

スーパーカブの総走行距離
38070km

旧婦中町→旧山田村→旧八尾町→旧大沢野町→旧細入村→旧大山町→富山市、の7つ。
今日の旅先のこと
昨日、南砺市を巡り終えたあと、富山市まで移動しました。そして、富山市は合わせて7つのまちが合併していて、海から山まで、富山市だけで富山県みたいな形をしています。それらを順に巡っていきました。それでは振り返っていきましょう。
婦中町ふちゅうまち(富山市)(1/7)
朝8時前に出発。昨日、親に頼んでいた冬用の荷物の宅配を受け取っていて、ネックウォーマーと手袋が手に入ったので、早速装着した。昼には暑くなるかもしれないけれど、朝はあった方がいい。

今回、安田城跡を訪れて、旧婦中町の市街地の速星へ。安田城跡は戦国時代末につくられた城だけれど、再整備の工事中で、来年2月までは大きな工事が行われているようだった。堀の水はなく、雨の水たまりだけが空を写し込んでいた。
安田城跡へ。工事中だった。
国指定史跡なんだなあ。
その後、速星駅の周辺を訪れる。昨日、南砺市から富山市へ向かう途中で、旧婦中町も通過していた。そのとき、富山市街地と変わらない雰囲気というか、大きなまちだなあと思っていた。

ただ、市街地を訪れて、昨日通過した旧婦中町の雰囲気とは違うと思った。昨日通過したのはバイパス沿いだったので、バイパスらしい店舗の並びだった。しかし、速星駅の周辺は駅前を中心とした店や住居の気配があり、こちらの方がまちっぽいと思ったのだった。
旧婦中町の市街地へ。
速星駅。
婦中町速星〜
穏やかな雰囲気。
貨物列車。
山田村やまだむら(富山市)(2/7)
次に向かったのは、旧山田村。富山市の西側に位置していて、富山市らしい平坦な地形ではなく、山の中を進んでいく。そこそこの険しさといった感じで、ところどころ平坦な土地もあり、そこには田んぼが広がっていた。まさに、山と田の土地だと感じる。

「ようこそ山田へ」とかかれた大きな文字を通過してしばらく経つと、「山田中村」という地名があった。山田中村(やまだなかむら)と読むみたいだけれど、この四文字を二文字にした組み合わせは、すべて読めるということに気づいた。

山田、田中、中村、山中、山村、田村、村山、村田、村中、中山、中田。

すごい!

それはさておき、市街地は立体的な地形で、山田川沿いは深く、その周囲は小高い丘陵地形になっていた。山田川から離れると高原の風景で、個人的には山田川が丘陵地形を長い年月で削ったのかなあと感じた。大きなお寺もあり、静かな暮らしが流れているところだ。
旧山田村へ。
上にも暮らしがある。
山に囲まれた感じ。
お寺も。
山田川の流れ。
少し登ると、高原のような地形になった。
高いところに野球場。
八尾町やつおまち(富山市)(3/7)
旧山田村の方が山間部に位置しており、峠を越えてからは、長い下り坂を降りて、旧八尾町に入った。

八尾といえば、「おわら風の盆」と「八尾曳山祭」である。大きなお祭りが年に2つあるというのは、全国的に見ても珍しいのではないだろうか。八尾に土地の縁がある人は、選ばれし人にも感じる。

2年前の9月、ぼくも「おわら風の盆」を初めて観に行った。知り合いの方に八尾に関わりのある方とつないでもらい、さらに地元の方に許可をもらって、写真を撮らせてもらった。

たのしかったなあという思い出も、ほろ苦い思い出もどちらもある。風の盆を現地で観れたことはほんとうに幸せだったし、初めて、地元の方たちに混ぜてもらって撮影したから、反省すべき点もいっぱいあった。

そんな記憶を風の便りに、八尾のまちを歩いた。おわら風の盆では、それぞれの町内で、踊り手や唄い手、地方じかたたちが自分たちの町内をゆっくり練り歩く。諏訪町は諏訪町、今町は今町といったふうに。ぼくは今町で主に滞在させてもらった。

そして今回、地図無しで今町へ向かおうとすると、なかなか見つからない。イメージでは、細いカーブのある道だった。ただ、やっと辿り着くと思っていたよりも広い道だった。祭り当日は沿道が人で埋まっていたから、記憶の道が狭くなっていたのだと思った。

ほかのまちを歩く最中も、ここで地元の方たちが踊っているのだよなあと、舞台上を歩いている感覚があった。またあらためて、観に行けるご縁があるといいな。
旧八尾町へ。
諏訪町本通り。
干し柿だ。
何の棒だろう。
今町だ。
いろいろと思い出す。なつかしいなあ。
また違う町を歩きながら。
大沢野町おおさわのまち(富山市)(4/7)
次に向かったのは、旧大沢野町だ。神通川を東へ渡って市街地に入った。山が近い立地だけれど、市街地がしっかりと広がっている。何か理由がある気がするなあと思ったところ、道路標識を見て国道41号線が通り、「高山」「飛騨」へ通じているとあって、納得した。なるほど、ここから国道で飛騨高山に通じているならば、ここにまちが広がるのも頷けると。

それは根拠というよりも勘で、まだ山奥という感じでもなかったので、中継地点としての役割があったのではないかと。あとで調べてみると、旧飛騨街道があるということだ。国道41号線のひとつ東側には、昔からの名残を感じる家屋が広がっていた。
囲碁将棋だ。
大沢野会館。新しい。
開いていたし、美味しそうだったけれど、旅の途中、今は我慢。
懐かしい雰囲気。
チラッ。
細入村ほそいりむら(富山市)(5/7)
旧大沢野町から、さらに神通川沿いの国道41号線を進んでいくと、旧細入村へ入る。この国道をもっと進めば、岐阜県の飛騨国へ入るということもよくわかったし、カブでの移動中、そういえば、とあることを思い出した。神通川は富山県に入ってからの名前で、飛騨高山の市街地を流れている川と同じ川であると。

肝心の、飛騨高山での川の名前が思い出せそうで、思い出せない。結局夜まで思い出せなかった。やっと調べてみて、“宮川”だった。自分の記憶力にしょんぼり。これでしばらくは覚えていられるかも。宮川と神通川は同じ川です。

そして、右折すれば国道へ続くところを直進し、旧細入村の市街地へ入った。国道を外れると車の数が減り、中山間部の静かな暮らしが広がっていた。橋の上も歩いて、神通川を眺めた。川面から地上まで高さがあってダイナミックだ。周囲の山も険しかったし、ここにも暮らしがあるのだなあとあらためて感じた。
楡原(にれはら)駅。
大きな石塔があった。
神通川に架かる橋。
自然の中に暮らしがある。
大山町おおやままち(富山市)(6/7)
旧細入村から17km移動し、旧大山町の市街地へ向かった。すぐそばには常願寺川が流れ、川を渡れば立山町だ。Googleマップで地図を見ても、旧大山町の市街地は扇状地で、その扇頂部にまちが広がっていた。常願寺川を上流へ進めば、立山に近づいていく。だから、立山を目指ときには通過してしまうかもしれないけれど、暮らしの観点で訪れると、ここにも市街地があるのだなあとしみじみ感じた。

小学校では下校時間を迎えたようで、黄色い学帽をかぶった小学生たちの明るい声が響く。小学生の標語のようなものを見つけて読んでみると、立山が見守ってくれている、といった言葉もあった。その立山連峰は分厚い雲で見えなかったものの、山が近づいていることははっきりとわかって、大自然がそばにある暮らしなのだと感じられた。
大山会館。
雲がなければ、もっとダイナミックなのかもしれない。
ここにも暮らしがある。
自然食品のお店だった。
富山市とやまし(7/7)
旧大山町は扇状地だったので、富山市の市街地へ斜めに進む道があって、それを通るとほぼ一本道で富山市街地へ入った。

今日は15時ごろに富山市役所で知り合いの方に会えたらという予定があって、それに間に合うことを目標に進んでいた。市役所周辺に着くと、まだ1時間ほど余裕があったので、富山駅から富山城址公園まで、歩いてみることに。

駅前は高校生が多くて、駅手前の交差点はスクランブル交差点になっている。渋谷のスクランブル交差点と大きさも変わらないんじゃないかと思った。さらにそこを市電がクロスして走っているので、こっちの方がすごいかもしれない、なんて思ったり。
富山市街地を歩こう。
富山駅だ。
城址公園のそばを通る松川は、元旦の地震の影響で工事をしているとあった。ここにも影響があったのだなあと感じる。さらには富山城跡のそばも、同じく震災の影響で工事中の箇所があった。ただ、城の姿は面影を残しており、小さいながらもしっかりと雰囲気を持った城だった。約230年間、前田家の居城だったと。
富山城の門。

富山城跡。
また、富山県民会館でD&DEPARTMENTのショップを見つけたので入ってみる。伝統工芸の器や雑貨、地元の食品まで、D&DEPARTMENTならいいセレクトをしてくれている、という安心感があり、それをそのまま感じる空間だった。小さな買い物もする。ダイニングスペースもあり、仕事の打ち合わせをする人、一緒にオムライスを食べる高校生のカップル、と良い日常が流れていた。
D&DEPARTMENT TOYAMAだ。
富山市役所には、展望台も設置されている。知り合いの方にお会いする前に立ち寄ってみた。これが見事だった。富山市街地の町並みを東西南北見渡すことができ、さっきまで歩いていた富山駅や富山城址公園もはっきり見えた。立山方面はやはり雲で覆われていたものの、その手前に広がる町並みだって好きだった。海外の観光客も含めて、絶えず人も訪れていたし、良い場所だなあと。

そして、最後に知り合いの方に無事お会いできた。「おわら風の盆」に来たときもお世話になった方だ。忙しい中時間を割いてくださって、とてもありがたかった。
富山市役所。
展望台へ。
お城も見える。
富山もいいまちだなあ。
というわけで、今日の散策はここまで。これまで八尾なら八尾、立山なら立山、市街地なら市街地、と富山市はイメージが分散していたけれど、それぞれどういう地形で、どうつながってひとつの富山市なのか、前回の旅に比べて、少しだけ詳しくなれた気がしたのでした。
本日のひとこと
富山駅前では登山の服装の人たちも多くて、その姿を見ると、山に登りたくなってきますよね。
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今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
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(終わり。次回へ続きます)

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