ふるさとの手帖

市町村一周の旅

奥能登、珠洲へ。ーまちの銭湯「海浜あみだ湯」で過ごすー

奥能登、珠洲へ。ーまちの銭湯「海浜あみだ湯」で過ごすー
9月末から6日間、能登半島の珠洲市に、海浜あみだ湯を訪ねた。市街地から数分走ったところにあみだ湯はある。

営業開始の14時前に着くと、連絡を取っていたえみーごさんが手を振ってくれた。友人がつないでくれた縁だった。

かつおというあだ名が重複していて、スーパーカブでやって来たので、新しいあだ名はかぶおになった。

まずは風呂に入ればいいと屈託なく勧められ、何もしていないのに湯船に浸かる。ちょうどあみだ湯は開店し、お客さんが次々入ってくる。

夕方を迎える頃には、店内の賑わいに驚いた。番台のえみーごさんと年代の離れたお客さんたちが、互いに名前で呼び合い、何の距離感もなく会話している。

ほかのあみだ湯のメンバーたちも気を張らず、店内にはお客さんの「ありがとう」とあみだ湯の「ありがとう」が飛び交う。
ぼくはこの小さな力で結ばれた空間が、あみだ湯だからなのか、珠洲だからなのか、能登半島だからなのか、大きなものが襲ってしまったからなのか、分からなかった。

分かろうとすることが失礼であることも感じた。分からないなりに、このやさしさとあたたかさがあみだ湯なのだと分かって、この空間にほんの少しでも近く触れられたらいいなと願った。

それでもまったく近づけなくても構わないから、今できることをやろうと思った。
翌日も、メンバーはそれぞれ困っている方のいらっしゃる場所へ向かっていった。

大きな組織や団体では掬うことのできない課題を、あみだ湯が受け皿のひとつとなり、奔走する。

泥かきも、簡単には行けないところがある。ビニールハウスの解体、遺品の整理、泥をかぶった田んぼの稲刈り。小さな声はいくつもあるようだった。

それをあみだ湯の代表である、新谷健太しんけんさんが割り振り、ぼくもいくつか現場に伺った。

泥かきの作業は、今も各地で終わっていないと思う。たった一軒でも軽々と床上に達するほどの土砂災害であれば、大きく取り上げられるべきなのに、あたかも当然のごとく被害が広範囲に及び、隣町のことを把握する余裕もない。

外のことは分からないし、外にいる人には分からないから、分かる人たちでやっていくことになる。地域には、震災時から寄り添うボランティア団体が数多くいる。それでもまた、長い時間軸が生まれてしまった、と。
あみだ湯も、水害で被害を受けている。先週末に営業を再開したばかりで、少しでも状況を良くするために、京都からゆとなみ社という銭湯チームも訪れていて、配管作業を夜遅くまで淡々と行っていた。

雨で肌寒い日も合羽を着て当然のように作業を続け、やるべきことをやって去っていった。背中を見ることしかできなかった。

墨田区にある電気湯という銭湯チームも手伝いに来ていて、東京から乗ってきた車は、泥かき作業の後、ボロボロになってしまった。それでも気さくな振る舞いに、場が明るくなる。

銭湯というものが、まちにとってどのような存在なのか。それをきっと頭ではなく腹で分かっている方たちが、あみだ湯には集まっていた。

それに、個人で行動することは小さいことだと思っていた。しかし、ぼくよりもずいぶん年下で、もっと遠くから、何度も能登へ足を運ぶ青年たちがいることも知った。

行動力を伴って、あみだ湯のみならず、いろんな場所で地元の人々と信頼関係でつながり、しかも淡々と活動し、目には鋭さとやさしさが宿り、冷静に、自らを突き動かしていく。

ひとりは東京へ車で帰った。ひとりはまもなく関西へ。そしてまた、能登へ戻るのだと思う。「そういう人もいる」などといった言葉では、決して括れない、心の深さで。

ほかには風呂場の掃除、洗濯、夕食作り、ほんとうに小さなことしかしていないけれど、旅とも日常とも、過ごしてきた時間の流れとはまったく違うものだった。

あみだ湯の営業時間という固定された時間はあっても、そのほかの時間は、どこまでも伸び縮みするのを感じた。

たった10分でも、ある瞬間にギュッと濃くなり、血となり肉となることがある。それは替えの利かないもの。

あみだ湯のみなさんたちは、きっとぼくには想像もつかない、記憶に刻まれた無数の日付を持っているのだと思う。
理不尽さに立ち向かう人たちがいる。自分には関係ないことだと信じ切っている人には届かない、命の重さを知っている人たちがいる。

隣り合う崩壊した家と残った家。土埃の舞う道に差し込む夕陽。

見えづらい自問自答を繰り返し、粘り強く生き続ける人たちがいる。後悔しない生き様を背負う人たちがいる。
とにもかくにも、ぼくはすみっこボランティアだった。

もっとも大変だった時期は、旅を続けていた。水害のあとに珠洲へ向かったわけだから、後出しじゃんけんだ。

言葉を言い訳の道具にしてはいけない。これ以上、ぼくは言葉に頼ることはできない。

自分の旅に戻るとき、どんな背中をしているか。珠洲で出会った方たちに向ける背中を、この先の自分に問いただして、生きていく。
海浜あみだ湯
X|@amidayu_suzu
Instagram|@amidayu.suzu
 

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

RECENT ARTICLES

Follow me