今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【87/171】
訪れた旧市町村の数【1397/2,097】 総計【1484/2,268】スーパーカブの総走行距離
35765km
今日の旅先のこと
今日は恵那市から、中津川市を巡っていきます。お互いの中心部を移動すれば、10kmほどの短い距離なのですが、1日かかって移動していきました。それでは振り返っていきましょう。
恵那市(1/6)
朝、恵那市街地の「中山道広重美術館」に行けたら良いなあと思っていて、9時半開館だったので、その時間に合わせてやってきました。現在の展示は、渓斎英泉と歌川広重によって描かれた「木曽海道六拾九次之内」がメインです。
館内は撮影禁止で、落ち着いて作品を眺めます。木曽街道の宿場町に合わせた浮世絵木版画ですが、川があり、城があり、松並木があり、雪が降り、桜が咲きと、ひとつひとつ似ているようで違う。それに、この色調に辿り着くのも、江戸時代の人たちはすごいなあとやっぱり感じたのでした。
また、広重晩年の名作「木曽路之山川」が初公開されていて、さらっと展示されていたのですが、この画もとても好きでした。線と色が、生きているというか。写真でも、いつかこういう表現ができたら、と真面目に思ったりもしました。手法は違うけれど、参考にできることはあるなあと。
その後、中山道の大井宿周辺を散策しました。すべて古い町並みが残っているわけではないけれど、ところどころ残された古い建物は良い雰囲気を持っていて、流れている時間も穏やかでした。
朝、恵那市街地の「中山道広重美術館」に行けたら良いなあと思っていて、9時半開館だったので、その時間に合わせてやってきました。現在の展示は、渓斎英泉と歌川広重によって描かれた「木曽海道六拾九次之内」がメインです。
館内は撮影禁止で、落ち着いて作品を眺めます。木曽街道の宿場町に合わせた浮世絵木版画ですが、川があり、城があり、松並木があり、雪が降り、桜が咲きと、ひとつひとつ似ているようで違う。それに、この色調に辿り着くのも、江戸時代の人たちはすごいなあとやっぱり感じたのでした。
また、広重晩年の名作「木曽路之山川」が初公開されていて、さらっと展示されていたのですが、この画もとても好きでした。線と色が、生きているというか。写真でも、いつかこういう表現ができたら、と真面目に思ったりもしました。手法は違うけれど、参考にできることはあるなあと。
その後、中山道の大井宿周辺を散策しました。すべて古い町並みが残っているわけではないけれど、ところどころ残された古い建物は良い雰囲気を持っていて、流れている時間も穏やかでした。
旧蛭川村(中津川市)(2/6)
次に向かったのは、旧蛭川村です。道中は、観光地である恵那峡ワンダーランドや、ストーンミュージアムの看板が目立っていました。
途中、恵那峡展望台に立ち寄りました。展望台はギリギリ旧蛭川村の地域で、木曽川を挟んで中津川市街地になります。展望台には「青い山脈の見れる 恵那峡展望台」と書かれていて、青い山脈は、いい表現だなあと思ったり。
少しだけ、橋の上も歩いてみたけれど、足がすくむ高さでした。とても深い谷で、木曽川のダイナミックさを感じたし、広重の浮世絵みたいだなと、さっき美術館に行ったばかりだからですが、そう思ったのでした。
その後、市街地へ進んで行く途中の横断幕は、「ようこそ!中津川市 ひるかわへ」と、蛭川が平仮名表記だったので、やっぱり蛭川は難読だよなあと。ストーンミュージアムも通過すると、大勢の家族連れで賑わっている様子でした。今日は土曜日です。
そして、蛭川市街地は遠く周囲が大きな山に囲まれて、その中に佇む静かな集落で。大人数でお茶を楽しんでいるご年配の方たちもいて、ゆったりした時間の流れを感じたのでした。
次に向かったのは、旧蛭川村です。道中は、観光地である恵那峡ワンダーランドや、ストーンミュージアムの看板が目立っていました。
途中、恵那峡展望台に立ち寄りました。展望台はギリギリ旧蛭川村の地域で、木曽川を挟んで中津川市街地になります。展望台には「青い山脈の見れる 恵那峡展望台」と書かれていて、青い山脈は、いい表現だなあと思ったり。
少しだけ、橋の上も歩いてみたけれど、足がすくむ高さでした。とても深い谷で、木曽川のダイナミックさを感じたし、広重の浮世絵みたいだなと、さっき美術館に行ったばかりだからですが、そう思ったのでした。
その後、市街地へ進んで行く途中の横断幕は、「ようこそ!中津川市 ひるかわへ」と、蛭川が平仮名表記だったので、やっぱり蛭川は難読だよなあと。ストーンミュージアムも通過すると、大勢の家族連れで賑わっている様子でした。今日は土曜日です。
そして、蛭川市街地は遠く周囲が大きな山に囲まれて、その中に佇む静かな集落で。大人数でお茶を楽しんでいるご年配の方たちもいて、ゆったりした時間の流れを感じたのでした。
旧福岡町(中津川市)(3/6)
旧蛭川村から、次は旧福岡町にやってきました。市街地は国道沿いに位置していて、この道を北上していくと、下呂市につながるようです。
途中、パラグライダーが飛んでいたのですが、付知川を境に谷のような地形になっているので、パラグライダーにも向いているのかなあと。その中でも市街地は、やや平地が多いところに位置しており、昔ながらの商店街の通りもありました。
12時になったタイミングで、オルゴール調のエーデルワイスが流れてほっこりしたのは、言うまでもありません。
旧蛭川村から、次は旧福岡町にやってきました。市街地は国道沿いに位置していて、この道を北上していくと、下呂市につながるようです。
途中、パラグライダーが飛んでいたのですが、付知川を境に谷のような地形になっているので、パラグライダーにも向いているのかなあと。その中でも市街地は、やや平地が多いところに位置しており、昔ながらの商店街の通りもありました。
12時になったタイミングで、オルゴール調のエーデルワイスが流れてほっこりしたのは、言うまでもありません。
旧坂下町(中津川市)(4/6)
次に向かったのは、旧坂下町です。旧福岡町からは、ひとつ山を越えたイメージ。そして、山に囲まれた市街地は、斜面にびっしりと住宅が並んでいて、大きな町だと感じました。何かで栄えたまちなんじゃないかなあと思ったのですが、昔から飛騨・木曽・伊那を結ぶ交通の要衝であったようです。地図を見ても、確かにそうだなあと。
まずは道の駅に立ち寄ったのですが、「道の駅きりら坂下」で、「きらり」ではないのがポイントです。「きりら」の理由が、“木曽川右岸”からきているようで、木曽川右岸、すなわち、「木曽・リバー・ライトサイド」で、頭文字をとって、きりら、と。いやー、しばらくは忘れなさそうです。
そして、市街地も散策してみました。水路は透明で小魚も泳いでいて、斜面にまちが広がっているので、ところどころ見える景色の見晴らしがとても綺麗。坂下公民館辺りの雰囲気も好きでした。
さらに、出雲福徳神社にも参拝しました。と思ったら、自分が最初に参拝していたのは坂下神社だったのですが、道の駅で見たポスターの中で、お祭りと坂下神社が紹介されていたし、出雲福徳神社はその横にある神社だったので、お互いに関わりが深いのだろうなあと。
次に向かったのは、旧坂下町です。旧福岡町からは、ひとつ山を越えたイメージ。そして、山に囲まれた市街地は、斜面にびっしりと住宅が並んでいて、大きな町だと感じました。何かで栄えたまちなんじゃないかなあと思ったのですが、昔から飛騨・木曽・伊那を結ぶ交通の要衝であったようです。地図を見ても、確かにそうだなあと。
まずは道の駅に立ち寄ったのですが、「道の駅きりら坂下」で、「きらり」ではないのがポイントです。「きりら」の理由が、“木曽川右岸”からきているようで、木曽川右岸、すなわち、「木曽・リバー・ライトサイド」で、頭文字をとって、きりら、と。いやー、しばらくは忘れなさそうです。
そして、市街地も散策してみました。水路は透明で小魚も泳いでいて、斜面にまちが広がっているので、ところどころ見える景色の見晴らしがとても綺麗。坂下公民館辺りの雰囲気も好きでした。
さらに、出雲福徳神社にも参拝しました。と思ったら、自分が最初に参拝していたのは坂下神社だったのですが、道の駅で見たポスターの中で、お祭りと坂下神社が紹介されていたし、出雲福徳神社はその横にある神社だったので、お互いに関わりが深いのだろうなあと。
(長野県)旧山口村(中津川市)(5/6)
さて、次に向かった旧山口村ですが、事前のリサーチの段階で、長野県と書かれていて、一瞬どういうことか掴めなかったのでした。それでも落ち着いて調べていくと、かつては長野県山口村だった村が、越境合併で岐阜県中津川市になったのだと。それが2005年2月のことなので、約20年前までは、長野県だったわけですね。
わあー! こういうパターンも、あるのかー! と、驚きです。これまでの旅では、初めてのパターンですね。
まずは、山口総合事務所の周辺を巡ってみると、やはり近くに停まっている車は岐阜県ナンバーがほとんどでした。勾配の急な斜面に住宅も建っていて、場所によっては木曽川の遠い景色も見渡せます。
さて、次に向かった旧山口村ですが、事前のリサーチの段階で、長野県と書かれていて、一瞬どういうことか掴めなかったのでした。それでも落ち着いて調べていくと、かつては長野県山口村だった村が、越境合併で岐阜県中津川市になったのだと。それが2005年2月のことなので、約20年前までは、長野県だったわけですね。
わあー! こういうパターンも、あるのかー! と、驚きです。これまでの旅では、初めてのパターンですね。
まずは、山口総合事務所の周辺を巡ってみると、やはり近くに停まっている車は岐阜県ナンバーがほとんどでした。勾配の急な斜面に住宅も建っていて、場所によっては木曽川の遠い景色も見渡せます。
その後、向かったのは「馬籠宿」。有名な宿場町でもあります。駐車場から急坂を徒歩で登って宿場町の町並みへ。現在の馬籠宿の町並みは、1895年、1915年と二度の大火で消失してしまったあとに再建されたものですが、水車が回り、軒を連ねた店は賑わい、その火災ことを知らなければまったく気づかないような、味わい深い空気に包まれていました。ずっと石畳の坂が続いていて、歩いている観光客の背中からは、江戸時代の人たちも、こうやって歩いていたのだろうなあという面影に感じられて。
また、島崎藤村についての展示である、藤村記念館にも訪れました。どんな人物だったのか、具体的なことを今まで知らなかったので。そして、いざ人物像に触れていくと、知らなかったことがたくさんありました。人によって藤村の描かれ方は、ぜんぜん違うのだろうなあと。
また、島崎藤村についての展示である、藤村記念館にも訪れました。どんな人物だったのか、具体的なことを今まで知らなかったので。そして、いざ人物像に触れていくと、知らなかったことがたくさんありました。人によって藤村の描かれ方は、ぜんぜん違うのだろうなあと。
中津川市(6/6)
さて、最後にやってきたのは合併前と同じ地域の、中津川市です。馬籠宿から、苗木城跡を目指したのですが、途中の落合という地域の地形が非常にダイナミックで、特に棚田はほんとうに美しいと思いました。
さて、最後にやってきたのは合併前と同じ地域の、中津川市です。馬籠宿から、苗木城跡を目指したのですが、途中の落合という地域の地形が非常にダイナミックで、特に棚田はほんとうに美しいと思いました。
苗木城跡はここ数日、いろんな場所のポスターで見かけていて、どんな山城なのだろうと思っていましたが、城跡が見えたときは、「なんじゃこれは!」という新鮮さでした。山城でありながら、巨岩が利用されていて、それは自然の存在でもあるので、人工物と自然が混ざり合い、城という感覚をひとつ超えたような場所で。
また、城跡から見る眺望が素晴らしく、中津川市街地の地形もよくわかりました。雄大な山の裾野に、これだけ大きなまちが広がっているのは、なかなか全国的にもないように思います。
最後に中津川駅周辺にも訪れてみて、まちの中にある空気感も感じることができました。
また、城跡から見る眺望が素晴らしく、中津川市街地の地形もよくわかりました。雄大な山の裾野に、これだけ大きなまちが広がっているのは、なかなか全国的にもないように思います。
最後に中津川駅周辺にも訪れてみて、まちの中にある空気感も感じることができました。
というわけで、今日の散策はここまで。恵那市から中津川市まで、隣同士の市ですが、知らないまちや風景がたくさん広がっていて、今日も圧倒された一日でした。
本日のひとこと
観光地や宿泊地で駐輪するとき、確認のためにプレートナンバーを聞かれることがあるのですが、カブ号は数字が5桁なので、けっこう驚かれます。多いのは4桁です。
観光地や宿泊地で駐輪するとき、確認のためにプレートナンバーを聞かれることがあるのですが、カブ号は数字が5桁なので、けっこう驚かれます。多いのは4桁です。
旅を応援してくださる方へ
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら
(終わり。次回へ続きます)
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