ふるさとの手帖

市町村一周の旅

京丹後の風土に触れるとき。【旧市町村一周の旅(京都府)|8月5日―486日目)】

京丹後の風土に触れるとき。【旧市町村一周の旅(京都府)|8月5日―486日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【87/171】

87/171
50.88%
訪れた旧市町村の数【1318/2,094】
1318/2094
62.94%
総計【1405/2,264】
1405/2264
62.06%

スーパーカブの総走行距離
33879km

旧久美浜町→旧網野町→旧丹後町→旧弥栄町→旧大宮町→旧峰山町、の6つ。
今日の旅先のこと
舞台は京都府へ移りました。そうかあ、京都まで来たのだなあ、なんだか、感慨深いなあ、という気持ちになりますよね。まずは京都の北部から始まる旅です。今日は京丹後市を巡りました。それでは振り返っていきましょう。
久美浜町くみはまちょう京丹後市きょうたんごし(1/6)
豊岡市を出発し、トンネルを抜けていよいよ京都府へ入りました。それからまもなく到着したのは、久美浜町の市街地。
最初に久美浜駅に着くと、駅舎がとても本格的な和の建造物で驚きました。よくある駅舎とは明らかに違います。
そして、周辺も散策していくと、昔ながらの町並みが残っていて、久美浜湾の手前の水路には松の木も生えており、とても味がある。
さらに、まだ開館前でしたが、「豪商稲葉本家」という場所もあり、正面まで行くと、非常に立派な玄関でした。
久美浜は歴史のある町なのだなあと感じながら、再び久美浜駅へ戻ったのですが、さっきもいたタクシーの運転手さんが、声をかけてくれました。
「君、倉敷から来たんだねえ」
そして、運転手さんがさっきまでの謎を見事に解決してくれるように、久美浜の歴史を教えてくれたのでした。
「この駅舎は、久美浜県の県庁がモチーフになっています」
かつての久美浜県は非常に広大で、丹後、但馬、丹波、播磨、美作にまで及んでいたと。その期間は短かったようですが、それだけ大きな県の中心がここにあったのは驚きでした。
だから、こんなに良い町並みが残っているのだなあと。
運転手さんはたくさんのパンフレットもくれて、爽やかな優しい方でした。最後に写真を撮っても良いか尋ねると、「うれしいなあ!」と言ってくれて、その言葉がうれしかったです。
立派な久美浜駅。
周辺を歩きます。
旧町役場も立派だなあ。
久美浜湾が近づき、松が綺麗でした。
潟湖の久美浜湾。
豪商稲葉本家。
タクシーの運転手さん。素敵なご縁をありがとうございました。
小天橋側から久美浜湾。

網野町あみのちょう(京丹後市)(2/6)
次にやってきたのは、網野町です。最初に夕日ヶ浦海岸へ向かっていくと、海水浴場になっており、駐車代も有料とのことで、すぐに再出発しました。
駐車代がかかるというのは、先ほどの久美浜町の小天橋海水浴場でも同じでした。今、日本海側の砂浜はハイシーズンなのだなあとあらためて。
その後、市街地へ向かうと、昔ながらの町並みが現れました。南側は山が見えるけれど、北側の海の方角には山がなくて、空が広く感じられます。

また、ノムさんこと野村克也さんのベースボールギャラリーの看板も見つけました。出身地なのか!と調べてみると、網野町出身でした。知らなかったなあ。

夕日ヶ浦海岸。

港町だ。
網野庁舎。
市街地を歩く。

昔ながらの気配。

ノムさんのギャラリーの看板だ。
さらに、琴引浜という砂浜へ、ここでは最初から駐車代を支払うつもりで訪れました。「鳴り砂」で知られる浜なので、泳がずとも行ってみたいなあと思っていたのです。

ただ、どうやら琴引浜の見学はできるし、サーファーはいるけれど、一般の遊泳は高波で禁止になっていて。それぐらい、サーファーにとっては良い波かもしれませんが、確かにすごい波で、ごおごおと白波を立てているのでした。

さて、この琴引浜はでどうやったら砂が鳴るか、駐車場のおじさんが教えてくれました。

方法は3つ。「すり足」「撫でる」「山をつくってはたく」と。

で、砂浜でぜんぶやってみたんですが、ほんとうにぜんぶ鳴るんですねえ。ギュイン、ギュイン、と摩擦で音が鳴っている。

あとでその報告をしたら、おじさんがまた教えてくれました。

「水晶の元の鉱物のセキエイが振動して鳴るんだよ。この砂浜はセキエイの含有量が多いから。冬にものすごく海が荒れるでしょう。それで砂浜が洗われて、春がいちばん綺麗に鳴るんだよ」

冬の大荒れの海にも、意味があるのだと思うと、感動してしまいました。
琴引浜へ。
サーファーの姿も。
すごい高波でした。

丹後町たんごちょう(京丹後市)(3/6)
網野町から海沿いの道を東へ進み、丹後町へやってきました。内陸には田んぼが広がり、日本海も近く、内陸と海の暮らしをどちらも感じます。

立岩という大きな一枚岩を見たのち、うねうねとアップダウンが激しく、カーブもある道を進み、丹後松島の展望所へ。丹後半島の北側を走っていくのは初めてだったのですが、展望所へ着くと、重なる山並みの陰影と、ずっと奥まで広がる日本海、少し霞んだ夏の青空と、まさに半島らしい景色が広がっていました。

とても大きな立岩。
ウミネコかな。
聖徳太子と穴穂部間人皇女の像も建っていました。
移動中、野球するカカシたち。
港町だ。

日本海と田んぼも。
丹後松島展望所。
美しかったなあ。
たぶん、コウノトリですよね?(違ったらすみません)

弥栄町やさかちょう(京丹後市)(4/6)
ここまで、日本海沿いの地域を巡っていきましたが、弥栄町から本格的に内陸に入っていきます。

道中は竹野川沿いを中心に開けた景色が広がっていて、大部分を占める田んぼの風景が気持ちいい。ただ、竹野川では川幅を拡張させる工事も進んでいました。

そして、市街地を散策していくと、昔ながらの建物も多く、歩道もあるけれど狭くて、きっと昔の道幅なのだなろうなあと。

以前、島根県浜田市でも弥栄(村)に出会いましたが、弥栄ってどんな意味なのでしょうか。と調べると、「弥栄(いやさか)=ますます栄える」が出てきて、なるほどなあと。良い地名はとても好きです。

弥栄町へ。田んぼと低い山並みと。
弥栄庁舎。

細い道。

大宮町おおみやちょう(京丹後市)(5/6)
弥栄町から峰山町を抜けて、大宮町へ向かいました。
大宮賣神社を訪れたのち、市街地を散策していきます。

神社は松の木の参道が美しく、やはり京都に入って、松を見る機会が増えた気がするなあと。近くの宮津市には天橋立もありますし、この地域らしい風景なのかもしれません。

市街地は思うがままに「こっちに行ってみたいなあ」と歩くわけですが、ふと見つけた車も通れない細い道に、少年時代を思い出すような懐かしさがあり、とても好きでした。横を水路が流れ、トンボが飛び、小魚が泳ぎ。

昔の役場も見つけて、その看板に、江戸時代の水路があることも書かれていたので、自分が好きだと思った水路も、昔のものかもしれません。

大宮賣神社へ。

支所周辺を歩こう。

竹野川です。
黄色い列車だ!

この道が好きでした。
丹後鉄道かっこいい。
旧口大野村役場庁舎。


峰山町みねやまちょう(京丹後市)(6/6)
最後にやってきたのは、峰山町です。京丹後市の中心地だけれど、訪れるのは初めて。

まず、大宮町から峰山町へ向かう道は、見たことあるスーパーやドラッグストア、ホームセンターが並ぶ光景でした。だから、街中もそんな感じなのかなと思いつつ、目的地にしていた金刀比羅神社に着くと、市街地でありながらも、さっきの郊外の雰囲気とは違って、昔ながらの町並みが広がっていました。なので、神社も町と一緒に時間を経てきたのだろうなあと。

神社は石段をまだか、まだある…とちょっとしんどくなりながら登った先にあり、とても清々しい境内でした。ポスターには「こまねこまつり」とあり、そういえば、いつもと違う姿の像があったけれど、あの動物は猫、すなわち狛猫こまねこだったのか! とあとで気づいたのでした。
金刀比羅神社へ。
亀々島。
良い神社でした。
蜂の巣だ。
周辺を歩く。
京丹後市役所。
工事中の川。
峰山駅近く。
というわけで、今日の散策はここまで。前回の市町村一周の旅において、京丹後市は細かく訪れることができていなくて、反省していました。それがやっと今日、もちろん初心者ではあるけれど、京丹後市の全体像に少しだけ触れられたというか。ありがたい一日でした。
本日のひとこと
ちょっと今日は涼しかったような。気のせいでしょうか。

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(終わり。次回へ続きます)

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