今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【87/171】
訪れた旧市町村の数【1253/2,094】 総計【1340/2,264】スーパーカブの総走行距離
32624km
今日の旅先のこと
舞台は岡山県から鳥取県へ移りました。鳥取県の西部と中部は、2週間ほど前に訪れていたので、残すは鳥取県の東部です。今日は鳥取市と八頭町へ。それでは振り返っていきましょう。
旧佐治村(鳥取市)(1/6)
昨日、岡山県の上齋原村から鳥取県に入り、佐治村も通過して鳥取市街地へ移動しました。
そのときにとにかく思ったことは、「こんなにも大雨の痕跡が残っているのか」ということ。佐治川沿いの道路が複数陥没しており、土のうやブルーシートで覆われ、工事が現在進行形で進み、片側通行の信号機が何度も現れる。
昨日の夜、調べてみて、2023年8月の台風7号による影響だとわかりました。自分はその頃、青森県を巡っていて、恥ずかしながらこの地域の雨のことを、あまり意識していませんでした。
自分が被災していなくても、日本のどこかで自然災害が発生している地域がある。4年前に発生した洪水で、現在もまだ国道が完全開通してない、熊本の球磨川流域のことも同様に思います。
平穏な日々があることを、あたりまえだと思ってはいけない。
そして、朝も雨が降ったのですが、レーダーを見て、いったん大きな雲は抜けたので、出発することにしました。
あらためて、佐治川を上流へ進み、佐治村の市街地へ。昨日と同じ道路を通り、やはり道路の片車線が流されていたり、川に木が根こそぎ転がっていたり、橋が半分崩落したままだったり、ここで1年前に大雨が降った爪痕がまだ色濃く残っている。
特に、総合支所のある市街地は、川幅もまだ狭く、急な氾濫の影響が大きかったのではないかと感じられました。
昨日、岡山県の上齋原村から鳥取県に入り、佐治村も通過して鳥取市街地へ移動しました。
そのときにとにかく思ったことは、「こんなにも大雨の痕跡が残っているのか」ということ。佐治川沿いの道路が複数陥没しており、土のうやブルーシートで覆われ、工事が現在進行形で進み、片側通行の信号機が何度も現れる。
昨日の夜、調べてみて、2023年8月の台風7号による影響だとわかりました。自分はその頃、青森県を巡っていて、恥ずかしながらこの地域の雨のことを、あまり意識していませんでした。
自分が被災していなくても、日本のどこかで自然災害が発生している地域がある。4年前に発生した洪水で、現在もまだ国道が完全開通してない、熊本の球磨川流域のことも同様に思います。
平穏な日々があることを、あたりまえだと思ってはいけない。
そして、朝も雨が降ったのですが、レーダーを見て、いったん大きな雲は抜けたので、出発することにしました。
あらためて、佐治川を上流へ進み、佐治村の市街地へ。昨日と同じ道路を通り、やはり道路の片車線が流されていたり、川に木が根こそぎ転がっていたり、橋が半分崩落したままだったり、ここで1年前に大雨が降った爪痕がまだ色濃く残っている。
特に、総合支所のある市街地は、川幅もまだ狭く、急な氾濫の影響が大きかったのではないかと感じられました。
旧用瀬町(鳥取市)(2/6)
佐治川の下流であり、千代川との結節点に用瀬町は広がっています。市街地へ入ると、とても良い雰囲気の通りが広がっていました。
ここでお祭りがあったら、すごく風情があるだろうなあと感じらるような雰囲気です。用瀬駅には昔の灯りが付いていて、駅のマップを見ると、かつて宿場町であったと書かれていました。
また、住宅街を流れる小さな瀬戸川には、梅花藻もいると。綺麗な川である証拠です。
その梅花藻は、雨で川が増水していて沈んでいたものの、確かに姿を見ることができました。風情ある町並みの中、制服の青年が歩く様子は、タイムスリップしたよう。
細い路地や昔の石段、おじいちゃんたちの雑談、歩いていても懐かしい日常を感じたのでした。
旧河原町(鳥取市)(3/6)
次にやってきたのは、河原町。日本海に流れる一級河川の千代川が流れており、川を中心に平坦な地形が形成されていると感じます。
市街地へ向かうと、小さな支流の川も流れており、建物と合わせて雰囲気があります。たぶん桜の木で、春はすごく綺麗だろうなあと。中学生たちが自転車で移動している様子も好きでした。
その後、河原城跡まで登っていきました。入場料を支払い、館内の展示も見ながら。焼き物の紹介や、千代川流域の歴史、文化について。天守からは景色を見ることもできました。下流の方角へ山も開けている様子はとても美しく、ああ、この先に鳥取市街地が広がっているのだなあと。
旧船岡町(八頭町)(4/6)
ここまで、鳥取市の旧町村を巡っていましたが、八頭町へ移動していきます。まずは船岡町へやってきました。
駅前通りは昔ながらの建物が並び、やや坂になっていて、その差を埋めるために石積みを使っている家が多くありました。でも、石積みがまったく同じ種類かと言われると違っていて、建てられた年代が少しづつ違うのかなあと。
また、庁舎は非常に立派。町としての大きさも感じられます。JAの正面には、石破茂さんのポスターもどん、と貼られていました。石破さんは八頭町出身とのこと。
旧八東町(八頭町)(5/6)
船岡町から東へ進み、若桜町の手前に位置する八東町へ向かいました。ただ、この辺りから雲行きが怪しく、「道の駅はっとう」に着く直前から雨が降り始め、車でいうとワイパーを連続ワイパーに切り替えないとまずい、というぐらいで道の駅に到着。かろうじてセーフぐらい。
ひとまず雨なので、道の駅の食堂で昼食をとることに。地元のお爺さんや作業服の方たちに混じって、唐揚げ定食を食べました。ボリューム満点で、すんごく美味しかった。
道の駅の店内にも入りましたが、桃とスイカがどっさりと並んでいて、これ、買っちゃうなあと。「桃やすっ!」とお客さんの声も聞こえてきました。
その後、いったん雨が止んだので丹比駅の周辺へ移動し、市街地を散策しましたが、ここで明らかに雨が迫っており、急いで回って駅舎に戻った途端、もう、雷が何度も落ちる大雨になりました。走ったので逆に汗をかきましたが、間に合ったので良かった。
ほんとに停電しそうな雷雨でしたが、40分ほど降り続きました。その間は読書をして待機です。
旧郡家町(八頭町)(6/6)
雨が止むのを待ってレーダーをチェックし、たぶん移動しても大丈夫、いや、むしろ移動したほうがリスクが少ない、といったタイミングで郡家町へ向かいました。
八頭町の中でも郡家町が中心地といえそうです。八頭町役場周辺を散策しました。昔ながらの住宅もあれば、新しい戸建ての住宅も建っていて。確かにここからなら鳥取市も近いし、新築の家が建つことも頷けます。
すでに放課後の時間にもなっていて、高校生がバスに乗ったり、郡家駅まで戻ってきたり、ささやかな日常の中を歩いた時間でした。
というわけで、今日の散策はここまで。大雨も降りましたが、無事に巡ることできてありがたいです。
本日のひとこと
雨宿り中の読書が、けっこう大事な時間のようにも感じています。
雨宿り中の読書が、けっこう大事な時間のようにも感じています。
旅を応援してくださる方へ
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
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(終わり。次回へ続きます)
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