今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【87/171】
訪れた旧市町村の数【1221/2,094】 総計【1308/2,264】スーパーカブの総走行距離
31993km
今日の旅先のこと
高梁市(1/6)
総社市を8時前に出発しました。高梁市で宿が空いていなかったからですが、総社〜高梁間は意外と距離があるなと感じています。高校生や小学生が登校する様子を見ながら、北へ移動していきました。朝の高梁川は凪いでいて、山並みや空が綺麗に映り込んでいます。
高梁市街地を通り抜けて、川面という町へ最初に立ち寄りました。数日前、新見市から地元の倉敷市へ戻ったときに、川面の町並みが好きだなあと思ったからです。
緩やかな斜面に家が点在していて、その緑と家の様子に心安らぐものを感じます。少し散策してみて、入口の橋から見える風景がいちばん好きかなと。
お兄さんが散歩している様子で、橋を往復して帰ってきたので、やっぱりこの景色はいいんじゃないかと思ったり。
さて、駐車場に着いたとはいえ、ここから700mの登山で天守を目指します。そして、この700mが、短いと思ったら大間違い。険しい遊歩道が待っていました。
総社市を8時前に出発しました。高梁市で宿が空いていなかったからですが、総社〜高梁間は意外と距離があるなと感じています。高校生や小学生が登校する様子を見ながら、北へ移動していきました。朝の高梁川は凪いでいて、山並みや空が綺麗に映り込んでいます。
高梁市街地を通り抜けて、川面という町へ最初に立ち寄りました。数日前、新見市から地元の倉敷市へ戻ったときに、川面の町並みが好きだなあと思ったからです。
緩やかな斜面に家が点在していて、その緑と家の様子に心安らぐものを感じます。少し散策してみて、入口の橋から見える風景がいちばん好きかなと。
お兄さんが散歩している様子で、橋を往復して帰ってきたので、やっぱりこの景色はいいんじゃないかと思ったり。
その後、備中松山城へ向かって進んでいきます。一度だけ訪れたことがありますが、たぶん7、8年ぐらい前なので、相当久しぶり。
最も近い駐車場まで登っていく峠では、誘導係のおじさんもいました。みるみるうちに備中松山城は大人気のお城になっていった印象があります。さて、駐車場に着いたとはいえ、ここから700mの登山で天守を目指します。そして、この700mが、短いと思ったら大間違い。険しい遊歩道が待っていました。
ようやく天守に着いたときには汗だくて、受付の人にすごい汗ですねえと。それでも久しぶりに来れた備中松山城、うれしさがまさります。
猫城主のさんじゅーろーもいました。2018年の西日本豪雨の後に保護された猫で、今やお城を背負う存在です。さんじゅーろーの小屋があり、屋根の下にいながらもなんとまた暑そうで、ぐったりしておられました。
城の天守は標高430m。高梁市街地は点のように密集していて、天守と城下町が、あらためてものすごく離れているなあと。
旧有漢町(高梁市)(2/6)
そして、次にやってきたのは、有漢町。有漢という地名も、今まで何度も聞いたことはあっても、具体的に岡山県のどこにあるのか、はっきりとはわかっていませんでした。
高梁市から北東の方角へ進み、しばらく走っていくと、町名が有漢に変わります。初めての有漢の旅。
また、市街地へ向かっている途中、道端にふと、大きな字で「桃」と書いているではありませんか。
道端で桃が売られていて、あと4ケース残っています。その直後、後ろに大型トラックが停車したと思ったら、お父さんが桃を買って行ったのでした。トラックは鳥取県ナンバーだったので、あくまで妄想ですが、家に帰って家族に「岡山の桃だぞ〜!」とお土産に渡すのであれば、素敵な光景だなあと。
その後、地域局まで訪れると、かなり立派な建物でした。周辺の市街地は、緩やかに山に囲まれていて、昔ながらの建物が並ぶ住宅の通りもあります。
さらに、「うかん常山公園」へ向かうと、広い草原に巨岩が並んでいて、その岩に石の風車がヒトデみたいにくっついて、しかもぐるぐる回っているではありませんか。石の風車を見るのは初めてです。
公園に入るとき、「風をあつめ風をおこす町」という紹介文もあったので、こういうことかと。ここで流す曲はもう、風をあつめて (はっぴいえんど)でしょう。
旧賀陽町(吉備中央町)(3/6)
吉備中央町では、気にかかっていたことがあって。それは「吉備高原都市」です。大きな都市をつくる、首都をつくる、そんな話は聞いたことがありますが、賀陽町と加茂川町の市街地と、吉備高原都市の立地が一致していなくて。
だから、ようやく少し謎が解けた、という感じだったのですが、有漢町から山道を進んで賀陽町に入ったとき、非常に美しい高原地帯が広がっていました。
山の斜面では棚田が風になびき、それがずっと遠くまで広がっている。さらに市街地に着くと、昔ながらの町並みが広がっていました。
わあ、やっぱり、ここにはここの暮らしがあるじゃないか!
当然のことではあるのですが、吉備高原都市のイメージがこれまで強くて、やっとそれ以前の町に出会えた感覚で。
ゆったりと制服姿で下校する小学生や中学生が、とても眩しく見えました。
旧加茂川町(吉備中央町)(4/6)
さて、次は加茂川町へ、高原の山道を進んでいきます。同じ吉備中央町だし、同じ高原地帯なのですが、加茂川町が近づくにつれて山も迫ってきて、木々の深さを感じます。
途中、立派な入道雲が現れて、もしかすると雨に当たるかもしれないなあと思ったり。
そして、加茂川庁舎の周辺は、宇甘川沿いに広がる静かな集落でした。庁舎には閉庁記念碑も置かれていて、確かにここが加茂川町だったことが感じられます。
さらに、市街地から数キロほど走ると、「宇甘渓」という景勝地にも着きます。市街地の気配から一気に森の雰囲気に変わり、宇甘川と周辺の木々が、落ち着いた森林浴へと誘ってくれます。
宇甘渓という言葉も今までに聞いたことはあるなあという気がしていて、ここにあるのかあと、新しい発見でした。
旧建部町(岡山市)(5/6)
加茂川町から、岡山市北区の建部町を目指していきます。
ここで意外だったのは、建部町へ移動するまでに、しっかりと山を越えたこと。建部町は岡山市とはいえかなり北に位置しており、そこそこ山が近いイメージだったので、そのままスッと移動できるのかと思っていました。
つまり、吉備中央町と岡山市は、地形がはっきりと違いますよと。峠を越えながら、そのことを感じました。
そして、建部町までやって来ると、市街地沿いに旭川が現れます。岡山三大河川のひとつなので、県民で知らない人はほとんどいないでしょう。
建部支所の周辺を散策したのち、たけべ八幡温泉へ。入浴はしませんが、駐車場の広い温泉で、お客さんも結構訪れています。身近な町に温泉があることが、何より羨ましい。
周囲はとうもろこし畑があったり、子どもが田んぼの畦道で自転車を漕いでいたり、夏の風景も感じられました。
旧御津町(岡山市)(6/6)
最後にやってきたのは、御津町です。県民あるあるかもしれませんが、ぼくの今までの御津のイメージは、岡山県運転免許センターで。免許を取ったときも、免許更新も、やってきた記憶があります。
そこから車なら約10分、北へと進んでいくと、御津町の市街地が広がっています。建部町と同じく旭川沿いに位置していて、御津支所と金川駅の周辺を歩きました。
御津支所へ向かう途中は、山がいくつか採石場になっていて、特徴的な山の形が目に入ります。それに市街地は川が近いとはいえ、十分に山が近くて、緑も深いという雰囲気でした。
ちょうど、金川駅には学校終わりの高校生たちが、ゆっくりと集まってきています。津山線なので、津山と岡山、どっち方面にも帰る家があるのだろうなあと。
というわけで、今日の散策はここまで。岡山県民でも、知らないまちがある。そのことをもちろん分かっていますし、だから知らないまちにも出会う、ということも分かっているつもりですが、それでも今日を経てみないと分からないこと、感じられないことがあるというか。やっぱり、直接訪れてみないと、と思う日々です。
猫城主のさんじゅーろーもいました。2018年の西日本豪雨の後に保護された猫で、今やお城を背負う存在です。さんじゅーろーの小屋があり、屋根の下にいながらもなんとまた暑そうで、ぐったりしておられました。
城の天守は標高430m。高梁市街地は点のように密集していて、天守と城下町が、あらためてものすごく離れているなあと。
旧有漢町(高梁市)(2/6)
そして、次にやってきたのは、有漢町。有漢という地名も、今まで何度も聞いたことはあっても、具体的に岡山県のどこにあるのか、はっきりとはわかっていませんでした。
高梁市から北東の方角へ進み、しばらく走っていくと、町名が有漢に変わります。初めての有漢の旅。
また、市街地へ向かっている途中、道端にふと、大きな字で「桃」と書いているではありませんか。
道端で桃が売られていて、あと4ケース残っています。その直後、後ろに大型トラックが停車したと思ったら、お父さんが桃を買って行ったのでした。トラックは鳥取県ナンバーだったので、あくまで妄想ですが、家に帰って家族に「岡山の桃だぞ〜!」とお土産に渡すのであれば、素敵な光景だなあと。
その後、地域局まで訪れると、かなり立派な建物でした。周辺の市街地は、緩やかに山に囲まれていて、昔ながらの建物が並ぶ住宅の通りもあります。
さらに、「うかん常山公園」へ向かうと、広い草原に巨岩が並んでいて、その岩に石の風車がヒトデみたいにくっついて、しかもぐるぐる回っているではありませんか。石の風車を見るのは初めてです。
公園に入るとき、「風をあつめ風をおこす町」という紹介文もあったので、こういうことかと。ここで流す曲はもう、風をあつめて (はっぴいえんど)でしょう。
旧賀陽町(吉備中央町)(3/6)
吉備中央町では、気にかかっていたことがあって。それは「吉備高原都市」です。大きな都市をつくる、首都をつくる、そんな話は聞いたことがありますが、賀陽町と加茂川町の市街地と、吉備高原都市の立地が一致していなくて。
だから、ようやく少し謎が解けた、という感じだったのですが、有漢町から山道を進んで賀陽町に入ったとき、非常に美しい高原地帯が広がっていました。
山の斜面では棚田が風になびき、それがずっと遠くまで広がっている。さらに市街地に着くと、昔ながらの町並みが広がっていました。
わあ、やっぱり、ここにはここの暮らしがあるじゃないか!
当然のことではあるのですが、吉備高原都市のイメージがこれまで強くて、やっとそれ以前の町に出会えた感覚で。
ゆったりと制服姿で下校する小学生や中学生が、とても眩しく見えました。
旧加茂川町(吉備中央町)(4/6)
さて、次は加茂川町へ、高原の山道を進んでいきます。同じ吉備中央町だし、同じ高原地帯なのですが、加茂川町が近づくにつれて山も迫ってきて、木々の深さを感じます。
途中、立派な入道雲が現れて、もしかすると雨に当たるかもしれないなあと思ったり。
そして、加茂川庁舎の周辺は、宇甘川沿いに広がる静かな集落でした。庁舎には閉庁記念碑も置かれていて、確かにここが加茂川町だったことが感じられます。
さらに、市街地から数キロほど走ると、「宇甘渓」という景勝地にも着きます。市街地の気配から一気に森の雰囲気に変わり、宇甘川と周辺の木々が、落ち着いた森林浴へと誘ってくれます。
宇甘渓という言葉も今までに聞いたことはあるなあという気がしていて、ここにあるのかあと、新しい発見でした。
旧建部町(岡山市)(5/6)
加茂川町から、岡山市北区の建部町を目指していきます。
ここで意外だったのは、建部町へ移動するまでに、しっかりと山を越えたこと。建部町は岡山市とはいえかなり北に位置しており、そこそこ山が近いイメージだったので、そのままスッと移動できるのかと思っていました。
つまり、吉備中央町と岡山市は、地形がはっきりと違いますよと。峠を越えながら、そのことを感じました。
そして、建部町までやって来ると、市街地沿いに旭川が現れます。岡山三大河川のひとつなので、県民で知らない人はほとんどいないでしょう。
建部支所の周辺を散策したのち、たけべ八幡温泉へ。入浴はしませんが、駐車場の広い温泉で、お客さんも結構訪れています。身近な町に温泉があることが、何より羨ましい。
周囲はとうもろこし畑があったり、子どもが田んぼの畦道で自転車を漕いでいたり、夏の風景も感じられました。
旧御津町(岡山市)(6/6)
最後にやってきたのは、御津町です。県民あるあるかもしれませんが、ぼくの今までの御津のイメージは、岡山県運転免許センターで。免許を取ったときも、免許更新も、やってきた記憶があります。
そこから車なら約10分、北へと進んでいくと、御津町の市街地が広がっています。建部町と同じく旭川沿いに位置していて、御津支所と金川駅の周辺を歩きました。
御津支所へ向かう途中は、山がいくつか採石場になっていて、特徴的な山の形が目に入ります。それに市街地は川が近いとはいえ、十分に山が近くて、緑も深いという雰囲気でした。
ちょうど、金川駅には学校終わりの高校生たちが、ゆっくりと集まってきています。津山線なので、津山と岡山、どっち方面にも帰る家があるのだろうなあと。
というわけで、今日の散策はここまで。岡山県民でも、知らないまちがある。そのことをもちろん分かっていますし、だから知らないまちにも出会う、ということも分かっているつもりですが、それでも今日を経てみないと分からないこと、感じられないことがあるというか。やっぱり、直接訪れてみないと、と思う日々です。
本日のひとこと
今日通り抜けた高梁市や吉備中央町では、午後に夕立が降ったみたいで、ギリギリ雨に遭わずに過ごすことができました。
今日通り抜けた高梁市や吉備中央町では、午後に夕立が降ったみたいで、ギリギリ雨に遭わずに過ごすことができました。
旅を応援してくださる方へ
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら
(終わり。次回へ続きます)
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