雨で旅を休んだ2日間、旧玉湯町の玉造温泉に泊まっていました。宿舎が松江市街地とさほど変わらない値段だったので。その期間、少し温泉街も歩いて。そして今朝は、玉造温泉を出発し隠岐へ。島後の旧町村を目指しました。それでは振り返っていきましょう。
今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【87/171】
訪れた旧市町村の数【1168/2,094】 総計【1255/2,264】スーパーカブの総走行距離
30800km
今日の旅先のこと
旧玉湯町(松江市)(1/6)
7月1日、初めての玉造温泉。雨上がりの夕暮れに散歩する。湿度が高くて汗をかく。玉作湯温泉を見つけたので、参拝した。6月30日に、人形の大祓祭を執り行うと紙が張られていて、つい昨日のことだ。月曜日で飲食店があまり空いておらず、土産屋の食事処で、演歌を聞きながらナポリタンを食べた。
そして今朝。5時には出発の支度をしてロビーに降りた。今まで若い女性がフロントを担当していたが、今朝はおじいさんが担当のようだ。話しかけてくださり、しじみの味噌汁をわけてくださった。体に染み渡る。元気が出た。
玉造温泉を出発し、国道9号線から朝の宍道湖を眺めた。遠くの市街地が水蒸気にまどろむ。静かな朝日を浴びた宍道湖は、氷を張ったように輝いていた。苦手な9号線も車の数が少なくて、助かる。
7月1日、初めての玉造温泉。雨上がりの夕暮れに散歩する。湿度が高くて汗をかく。玉作湯温泉を見つけたので、参拝した。6月30日に、人形の大祓祭を執り行うと紙が張られていて、つい昨日のことだ。月曜日で飲食店があまり空いておらず、土産屋の食事処で、演歌を聞きながらナポリタンを食べた。
そして今朝。5時には出発の支度をしてロビーに降りた。今まで若い女性がフロントを担当していたが、今朝はおじいさんが担当のようだ。話しかけてくださり、しじみの味噌汁をわけてくださった。体に染み渡る。元気が出た。
玉造温泉を出発し、国道9号線から朝の宍道湖を眺めた。遠くの市街地が水蒸気にまどろむ。静かな朝日を浴びた宍道湖は、氷を張ったように輝いていた。苦手な9号線も車の数が少なくて、助かる。
フェリーの出航。
松江市を北東へ進み、七類港を目指す。事前にカブの積載を予約したとき、8時までに来るようにと言われていたが、6時45分に港へ着いた。ターミナルは静かで、券売所も閉まっている。人が増えたと感じたのは7時45分だ。そして7時50分にアナウンスが鳴り、券売所が動き始め、一気に騒がしくなった。券を購入し外に出ると、いつのまにか車でターミナルはいっぱいだった。
船の出航は9時だが、8時過ぎには車の乗船が始まった。隠岐汽船のポロシャツを着た係員たちが、連携を取って車を誘導していく。バック駐車で船に入っていくのもなるほど、と。カブは8時20分に乗船した。停車指示はセンタースタンド、ハンドルロック無し。安心できる停め方だ。隠岐汽船は信頼できる。
放送後に島の民謡が流れ、いざ出航だ。デッキにも人が集まっていた。大きな汽笛が鳴る。
11時半、ほぼ定刻通りに島後の西郷港へ着いた。ここから半日で、4つの町を巡る。
松江市を北東へ進み、七類港を目指す。事前にカブの積載を予約したとき、8時までに来るようにと言われていたが、6時45分に港へ着いた。ターミナルは静かで、券売所も閉まっている。人が増えたと感じたのは7時45分だ。そして7時50分にアナウンスが鳴り、券売所が動き始め、一気に騒がしくなった。券を購入し外に出ると、いつのまにか車でターミナルはいっぱいだった。
船の出航は9時だが、8時過ぎには車の乗船が始まった。隠岐汽船のポロシャツを着た係員たちが、連携を取って車を誘導していく。バック駐車で船に入っていくのもなるほど、と。カブは8時20分に乗船した。停車指示はセンタースタンド、ハンドルロック無し。安心できる停め方だ。隠岐汽船は信頼できる。
放送後に島の民謡が流れ、いざ出航だ。デッキにも人が集まっていた。大きな汽笛が鳴る。
11時半、ほぼ定刻通りに島後の西郷港へ着いた。ここから半日で、4つの町を巡る。
旧都万村(隠岐の島町)(2/5)
西郷港に着き、旧都万村を目指す。向かっていると、玉若酢命神社の看板を見つけた。最後に巡ろうと思っていた旧西郷町のエリアだが、神社なので、最初に行った方が良いと思い立ち寄った。境内には樹齢1500年以上という八百杉が立っていた。隠岐の土地にも1500年という歴史があることを思う。
その後、あらためて旧都万村へ入り、屋那の松原の舟小屋群を訪れた。舟小屋群も、その周辺の港も、ほんとうに変わらない時間だ。小さな浦に漁船が並び、家の気配が変わらず、路面もひと昔前のコンクリートで、背景には自然な山並みが広がる。時間が変わっていない。モノクロをカラーにしたような世界へ、雲の隙間から時折強い日差しが差し込んだ。
西郷港に着き、旧都万村を目指す。向かっていると、玉若酢命神社の看板を見つけた。最後に巡ろうと思っていた旧西郷町のエリアだが、神社なので、最初に行った方が良いと思い立ち寄った。境内には樹齢1500年以上という八百杉が立っていた。隠岐の土地にも1500年という歴史があることを思う。
その後、あらためて旧都万村へ入り、屋那の松原の舟小屋群を訪れた。舟小屋群も、その周辺の港も、ほんとうに変わらない時間だ。小さな浦に漁船が並び、家の気配が変わらず、路面もひと昔前のコンクリートで、背景には自然な山並みが広がる。時間が変わっていない。モノクロをカラーにしたような世界へ、雲の隙間から時折強い日差しが差し込んだ。
旧五箇村(隠岐の島町)(3/5)
旧都万村の油井という地区を抜けて、旧五箇村へ行こうと思っていたが、工事の通行止めがあるようで、ルートを変更した。五箇トンネルを抜けたとき、少し気配が変わったと感じた。市街地へ着く頃には吹き飛ばされそうな風も吹く。「こんにちはー!せんせー!せんせー!」と家の扉をガラガラと開けて、呼びかける人の近くなどを歩いた。ここにも変わらない風景があった。変わらないということが何か。それはたとえば、むやみやたらに開発されていないこと。旧五箇村のまちは、まだまだ土地に染みついた時間が、そのままあった。
さらに北へ進み、久見という集落にある久見竹島歴史館を訪れた。竹島について、燃えたぎる情熱を持って返還運動をするわけではないけれど、島根県に入ってから、「竹島」という言葉を見かける機会はぐんと増えていた。この機会に歴史館へ訪れよう。と館内へ入ると、長い白髪を結んだ男性が迎えてくださった。竹島についての説明を受ける。かつて、この久見地区には竹島で漁をする人が多く住んでいた。それがサンフランシスコ平和条約の締結に至る間に、ややこしいことになった、と。「この写真はぼくの祖父でね」と白髪の男性は言った。男性の祖父は竹島に漁に出たことのある人で、祖父が書いたという竹島の地図は、とても克明に島の立地や漁場が書き上げられていた。
テレビやインターネットの報道で触れる竹島と、竹島に漁へ出ていた漁師の孫に直接お伺いする話では、感じるものは、当然ながらまるで違う。
旧都万村の油井という地区を抜けて、旧五箇村へ行こうと思っていたが、工事の通行止めがあるようで、ルートを変更した。五箇トンネルを抜けたとき、少し気配が変わったと感じた。市街地へ着く頃には吹き飛ばされそうな風も吹く。「こんにちはー!せんせー!せんせー!」と家の扉をガラガラと開けて、呼びかける人の近くなどを歩いた。ここにも変わらない風景があった。変わらないということが何か。それはたとえば、むやみやたらに開発されていないこと。旧五箇村のまちは、まだまだ土地に染みついた時間が、そのままあった。
さらに北へ進み、久見という集落にある久見竹島歴史館を訪れた。竹島について、燃えたぎる情熱を持って返還運動をするわけではないけれど、島根県に入ってから、「竹島」という言葉を見かける機会はぐんと増えていた。この機会に歴史館へ訪れよう。と館内へ入ると、長い白髪を結んだ男性が迎えてくださった。竹島についての説明を受ける。かつて、この久見地区には竹島で漁をする人が多く住んでいた。それがサンフランシスコ平和条約の締結に至る間に、ややこしいことになった、と。「この写真はぼくの祖父でね」と白髪の男性は言った。男性の祖父は竹島に漁に出たことのある人で、祖父が書いたという竹島の地図は、とても克明に島の立地や漁場が書き上げられていた。
テレビやインターネットの報道で触れる竹島と、竹島に漁へ出ていた漁師の孫に直接お伺いする話では、感じるものは、当然ながらまるで違う。
旧布施村(隠岐の島町)(4/5)
強風の中を進み、中村地区を越えて、旧布施村へ入った。町並みには少し石州瓦が増えたような気がする。支所の奥の海辺にはウミネコが大量に集まって、騒がしく鳴いていた。浄土ヶ浦という景勝地にも行ってみた。すると浜に人が集まっていて、各々が三脚を立てて水中にカメラを向けている。何かを狙ってるようだ。尋ねなかったけれど、遠くから見ていて、写真を撮ることも釣りみたいだなと思った。帰り際、キジが水溜りで水浴びをしていたものの、気づいた瞬間にスタタタ、と逃げる。
強風の中を進み、中村地区を越えて、旧布施村へ入った。町並みには少し石州瓦が増えたような気がする。支所の奥の海辺にはウミネコが大量に集まって、騒がしく鳴いていた。浄土ヶ浦という景勝地にも行ってみた。すると浜に人が集まっていて、各々が三脚を立てて水中にカメラを向けている。何かを狙ってるようだ。尋ねなかったけれど、遠くから見ていて、写真を撮ることも釣りみたいだなと思った。帰り際、キジが水溜りで水浴びをしていたものの、気づいた瞬間にスタタタ、と逃げる。
旧西郷町(隠岐の島町)(5/5)
旧西郷町へ戻る。隠岐の島町役場は立派な建物だった。西郷港にカブを停めて、周辺を散策する。少し規模の大きな港町だが、流れている時間はやはりゆったりだ。川もあれば小さな水路もあり、見える景色は道ごとに異なっていた。ほんとうは、ここで美味しい島の幸を食べられたらよかったけれど、今日はもう、時間がない。まだ、朝から何も食べていなかったので、ふと見つけたパン屋さんでパンをふたつ買った。その後、宿舎へ移動して、荷解きをする。
旧西郷町へ戻る。隠岐の島町役場は立派な建物だった。西郷港にカブを停めて、周辺を散策する。少し規模の大きな港町だが、流れている時間はやはりゆったりだ。川もあれば小さな水路もあり、見える景色は道ごとに異なっていた。ほんとうは、ここで美味しい島の幸を食べられたらよかったけれど、今日はもう、時間がない。まだ、朝から何も食べていなかったので、ふと見つけたパン屋さんでパンをふたつ買った。その後、宿舎へ移動して、荷解きをする。
というわけで、今日の散策はここまで。隠岐へ無事に来れて良かったです。天気も思った以上に晴れてくれました。ほんとうはもっと、数日ゆっくりできたら良いのですが。
本日のひとこと
島の中央部の山岳地帯はずっと太い雲が広がっていて、沿岸部は晴れやすい、という一日でした。
島の中央部の山岳地帯はずっと太い雲が広がっていて、沿岸部は晴れやすい、という一日でした。
旅を応援してくださる方へ
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
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(終わり。次回へ続きます)
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