ふるさとの手帖

市町村一周の旅

高知県から徳島県へ。そして、海陽町でのご縁。【旧市町村一周の旅(高知県ー徳島県)|3月23日―717日目】

高知県から徳島県へ。そして、海陽町でのご縁。【旧市町村一周の旅(高知県ー徳島県)|3月23日―717日目】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【170/171】

170/171
99.42%
訪れた旧市町村の数【1957/2,101】
1957/2101
93.15%
総計【2127/2,272】
2127/2272
93.62%

スーパーカブの総走行距離
46588km

旧赤岡町→旧夜須町→(徳島県に続く)
旧宍喰町→旧海部町、の計4つ。
今日の旅先のこと
いよいよ、高知県の旅も最終日となった。高知県の旧市町村を巡り終えたのち、途中からは合併していない東部エリアをずーっと走って、徳島県へ。徳島県で最初に訪れた海陽町では、里山の洋菓子店でとってもあたたかなライブにも伺うことができ、すてきなご縁にも恵まれて。それでは振り返っていこう。


赤岡町あかおかちょう(香南市)(1/4)
最初に訪れたのは、旧赤岡町だ。旧吉川村の東に隣接し、土佐湾に面している。かつては高知県で最もちいさな町村だったと。

市街地に入ると瓦屋根が多くて、町並みに統一感があり、土地に染み込んだ昔ながらの雰囲気が漂っている。散策していると、かつて脇本陣もあったみたいで、やっぱり昔からの町なのだなあと。まだ開館時間前だったものの、「絵金蔵」という美術館もあり、今も人気を博しているそうだ。横には劇場もあって、とっても風情があった。

小さなまちが続いていたということは、そうした歴史の道筋みたいなものがあるよなあと。
旧赤岡町へ。瓦屋根が多い。
志摩村治先生之像、と。
絵金とどろめのまち。
懐かしい看板だ。
絵金蔵。
恐ろしくて美しい…と。
やなせ先生のデザインしたキャラクターが、いろんなまちにあるなあ。
夜須町やすちょう(香南市)(2/4)
高知県で最後の訪問になったのは、旧夜須町だ。国道沿いに進んで「道の駅 やす」に着くと、背の高いヤシの木が並んでいて、トロピカルな気配である。芝生の広場もあるし、その奥には海水浴場もあって、なんだか泳ぎそうな若者たちもいたけれど、さすがにまだ寒いよなあ? なんて思ったり。

また、市街地を散策したのちに、「手結内ていない港」へ訪れてみた。ここには「手結港可動橋」という開閉式の可動橋があり、港のシンボルである。訪れたときは橋を渡ることができたものの、橋が降りているのは一日のうち約7時間しかないらしい。

手結内港の雰囲気もとても良かった。ひっそりと暮らしの続く内湾で、景色には今の時代ではどうやってもつくりだせないような懐かしさがあって。
旧夜須町へ。
海もすぐそばに。
市街地を歩こう。
夜須庁舎。
穏やかな風景。
夜須川と。
手結内港へ。
ほんとにいい雰囲気だなあ。
可動橋だ。
海も美しい。
宍喰町ししくいちょう(海陽町)(3/4)
さあ、高知県から徳島県への移動だ。旧宍喰町までは、およそ100kmほどの距離を走る。途中の右手に見えるずっと海は深く青く、お遍路さんともたくさんすれ違いながら。徒歩のお遍路さんはすごいなあ。この距離を歩いていくのだもの。そうした姿を見ていると、自分もがんばらなければと思う。

とにかく夢中で進んで、ついに徳島県へと進み、旧宍喰町に入った。今日は旧宍喰町のライブにも伺えたらと思っているので、先に市街地を散策してみる。川の色がやっぱり独特で、徳島県の川は深い緑色だよなあと感じたし、海のそばには昔からの建物が集まっていて、港町の気配を感じた。宍喰という地名もかなり残っていたので、まだまだ土地に馴染んでいる地名なのだなあと。
旧宍喰町へ。
昔からの変わらない雰囲気。
すだちくんだ。徳島にやってきたと感じる。
羽ばたいてる。
宍喰川も美しい。
宍喰駅に竹あかりだ。
海部町かいふちょう(海陽町)(4/4)
次に向かったのは、旧海部町。「鞆浦」という港町へ進むと、近所のおばちゃんが挨拶をしてくれて、周辺のことをいろいろとアドバイスしてくれた。この地域は日蓮さんにゆかりのある土地で、岡山県辺りからお参りにくる人もいるよと。波打ち際の岩には小さな日蓮聖人像もあって、波の音を一緒にきいた


それにしても、ザ、という港町で、あちこちに年配のおじいちゃんがいらっしゃって、車の中からも、自転車からも、休憩中のベンチからも視線を感じ、おじいちゃんたちの縄張りに入ってしまっていることを感じる。ぼくも目立ちたくないわけだが、こればっかりはどうしようもない。目立ってしまう中でもできるだけ目立たないように散策させてもらい、スッとまちを後にさせてもらった。
海の直前がミルキーブルーだ。
海を向いた日蓮聖人像。
海のまち。
白鷺も。
海のまちだなあ。
大漁。
宍喰でのライブとご縁と。
その後、ライブの開演に合わせて旧宍喰町のお菓子屋さんへ向かった。お店が3周年を迎えて、記念のライブが開催されるのだ。そして、ここで演奏される方のひとりであるサラさんとご挨拶させていただいた。つくば市の旅でもとってもお世話になった、ピアニストの永田ジョージさんが、ご縁をつないでくださったのだ。

何より、集まっている方々の雰囲気がほんとうにすてきだった。みなさん同士はほとんど知り合いのようで、とっても明るく話に花を咲かせていて。服も、カバンも、ワンちゃんも、子どもたちも、みなさんが持ち合わせている雰囲気が、朗らかで、自由で、日本じゃないみたいだった。

ライブはほんとうに春のあたたかな陽気とともに流れていき、サラさんやゲストのシンガーさんの声に何度もうっとりとし、体を自然に揺らし、たくさん笑顔になった。旅でライブに巡り合う機会は、これまであるようでなかったので、ほんとうに素敵なご縁をいただいてうれしかったなあ。

また、夜には同じくジョージさんのご縁で、永原レキさんにもお会いすることができ、竹あかりアーティストの桧垣さんご夫婦とも一緒に夕食を。レキさんはサーファーとして全日本学生選手権で4連覇していたり、音楽や写真にも精通していたり、阿波藍のプロデューサーとして徳島の伝統文化を広めていたり、地元の轟神社の総代も務めていたり、と、ほんとうにいろいろなことに携わっている方だ。

初めてお会いしたにも関わらず、自由にお話をさせていただいて、あっという間の夜が過ぎていった。たとえば、神社の話になったとき、レキさんは自然への畏敬の念を、サーフィンから学んだと教えてくださった。自然の中に実際に身を置くという経験が、そういう学びをもたらしたのだと。何ごとにおいても、体験から掴んだ話というものは、すごく説得力があるなぁと。

ご一緒したお子さんもぼくの膝の上に乗ってくれたりしてうれしかったし、今日はどんな一日になるのか想像もつかなかったけれど、ほんとうにありがたくて幸せなひとときになった。最後にお別れをした後の帰り道、夜空の星がすごく綺麗だったなぁ。
とーっても、平和な空間。
サラさんの天使の歌声に浄化され‥‥。
泊まった宿のそばの海。
レキさんのおうちにて。桧垣さんご夫婦の竹あかり作品で、藍染した薄い布も表面に貼られている。かっこいい‥‥。
「わたしがご飯ついであげるね」
またねー!!
というわけで、今日の散策はここまで。まずは何より、高知県の旧市町村を無事に巡ることができました。山間部では雪の心配もありましたが、訪問の日とうまくずれてくれて。前回の旅では気づかなかった土地とたくさん出会わせていただきました。ありがとうございました!
高知県、ありがとうございました!
本日のひとこと
海陽町では、「宍喰、海部、海南と、それぞれみんなぜんっぜん違うよ!」と教えていただきました。
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今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
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(終わり。次回へ続きます)

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