ふるさとの手帖

市町村一周の旅

しまなみ海道を渡りきろう。【旧市町村一周の旅(愛媛県)|3月7日―701日目】

しまなみ海道を渡りきろう。【旧市町村一周の旅(愛媛県)|3月7日―701日目】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【170/171】

170/171
99.42%
訪れた旧市町村の数【1875/2,101】
1875/2101
89.24%
総計【2045/2,272】
2045/2272
90.01%

スーパーカブの総走行距離
44871km

旧大三島町→旧上浦町→旧伯方町→旧宮窪町→旧吉海町→今治市、の6つ。
今日の旅先のこと
今日はしまなみ海道の大三島まで向かいたかった。時間にゆとりがあれば、カブで往復することを当然のように考えただろうけれど、今治市からざっと30kmは離れているし、もう少し良い方法がないかと思っていたところ、見つけたのである、船便を。朝6時半に今治港を出発する便で、大三島へ向かった。


大三島町おおみしまちょう(今治市)(1/6)
今治港に到着したのは、5時50分だった。まだ夜空である。すでに券売所は開いていて、やわらかなおじさんが券の買い方を教えてくれた。そして、「第3桟橋ですから、向こうです。行けば分かります」と。自分が「乗り場はここだろうな」と思ってカブを停めた場所とは違ったし、行けば分かるというけれど、ほんとかなあと半信半疑で移動してみたところ、ああ、確かにあった!
第3桟橋、とはっきり記されてある。それに二台、車がすでに並んでいた。

空がうっすらと明るくなりはじめた朝、こういう日常があるのだなあとまた思った。でも、昨日の中島行きの高速船とは違って、流れている時間はゆったりだ。

それに、たいてい乗船前に、券の確認をする人がいるけれど、さっきまでふつうに自転車を漕いでいて、地元の人だとしか思わなかったおじさんが、急に「どちらまでですかね?」と。あなたが係の人ですか! ぜんぜん分からなかった。

そして、無事に乗船して出港だ。朝がはじまったばかりの海はとても美しかったし、来島海峡大橋の下をくぐったときは興奮した。約1時間の船旅で、大三島の宗方港で下船する。降りたのはぼくだけで、乗った人はそれなりにいた。つまり、結構な人が大崎上島へ向かうのだなあと。この船の最終寄港地は、大崎上島の木江港である。

大三島に到着して向かったのは、大山祇神社だ。以前、尾道の生口島から多々羅大橋を渡って大三島へ向かおうとしたタイミングで、ケガをされた方がいらっしゃり、大三島へは渡らなかった。なので、あらためての訪問になる。大山祇神社では、四国を巡らせてもらうにあたって、ご挨拶させていただけたらいいなと思っていた。

神社に到着すると、朝の巫女さんや神職さんが掃除中で、社殿の上に日差しが当たり、美しい境内だった。堂々と聳える御神木も美しく、気持ちのいい朝に参拝させていただけてありがたかった。このありがさを忘れずに進むことだ。
朝6時前の今治港。
第3桟橋へ。
徐々に空が明るく。
出港!
来島海峡大橋をくぐる。
わぁー!
大三島が見えてきた。
大三島に到着。
旧町役場かな。
海は生きている。
ブリュワリーだ。
大山祇神社へ。
参拝できてありがたいです。
上浦町かみうらちょう(今治市)(2/6)
大三島には、旧上浦町もある。島の東側、しまなみ海道近くが市街地で、海がそばにあり、堂々たる多々羅大橋も眺めることができた。市街地を散策したのち、「道の駅 多々羅しまなみ公園」へ。しまなみ海道を表現するにはぴったりの場所である。どうしても橋を背景に写真を撮りたくなるなあと思った。

それに、フルーツ売り場には農家さんが次々と柑橘類を持ってきていた。やっぱり島で栽培が多いのかなあ。採れたての大三島レモンも売られていて、最高に美味しそうである。
旧上浦町へ。
めだかの学校だ。
多々羅大橋も見える。
大三島レモン。美味しそうだなあ。
伯方町はかたちょう(今治市)(3/6)
大三島から橋を渡って伯方島へ。「は!か!た!の!塩!」の伯方島だ。橋は風もさほど強くなく渡ることができてひと安心。

最初に「道の駅 伯方S・Cパーク」の周辺を散策してみて、しまなみ海道沿いのルートなので、観光客は多いものの、まちの中心部とは少し離れている気がして調べなおし、やはりしまなみ海道のルートから外れたところに市街地があるみたいで、向かってみた。

市街地は昔ながらの雰囲気が流れていて、地元の方たちの暮らしを感じる。通りがかった神社にたくさんの年配の方々がいて、何かあるのかなと思った途端、大きなラジオ体操の曲が流れはじめた。もちろん、みなさんが体操するためである。ぼくも怪しくなかったら、参加したいんだけどなあ。
マリンオアシスはかた。
おいしそう!
伯方・大島大橋。
伯方市街地へ。
細い道もあったり。
船折瀬戸。
潮の流れが強い海域。
宮窪町みやくぼちょう(今治市)(4/6)
次に「伯方・大島大橋」を渡って、大島の旧宮窪町に入った。宮窪支所の周辺は海も近く、古くて懐かしい町並みが残っていた。やや内陸へ入ると、ゆるやかな山の斜面にも住宅地が建っていて、ゆったりした時間の流れだ。

その後、「村上海賊ミュージアム」にも立ち寄ってみた。能島村上氏の紹介を中心とした展示で、能島にはかつて能島村上氏の城があったという。この城跡、行きの移動中に目撃していて、「なんじゃあれは!」と思っていた。小さな島だけれど、何か手が加えられたような雰囲気があったのだ。

展示を見て思ったことは、瀬戸内海はどこまでも凪いで穏やかというイメージがあったけれど、この辺の潮流は激しく、難所だったからこそ、航海技術に優れた村上氏の勢力が増していったのだなあということ。また、能島村上氏は独立性が高く、合戦に関わるようになってからも、ギリギリまでどちらの味方につくか分からなかったと。まだ、そういう謎も多いようである。戦略というか、ポリシーというか、きっと軸みたいなものがあったのだろうなあ。
能島城跡、だとのちに分かった。
宮窪支所。
懐かしい雰囲気。
ゾウさんだ。
何の魚だろう。
村上海賊ミュージアムも見学した。
吉海町よしうみちょう(今治市)(5/6)
同じく大島を南へ進み、旧吉海町に入った。市街地が海岸線沿いにあるというわけではなく、内陸の雰囲気が広がっている。低い山に囲まれているし、内陸部だと島にいるとはあまり感じなかったりするので不思議だ。

市街地を散策したのち、しまなみ海道を最後に渡る、「来島海峡第一大橋」の手前にある「道の駅 よしうみいきいき館」で昼食をとった。選んだのは、地元の釜揚げシラス丼。旅では久しぶりのちゃんとした昼食で泣けた。美味しい、沁みる‥‥。
旧吉海町へ。
干支の絵だ。
来島海峡大橋のそばまで。
道の駅で、釜揚げシラス丼を。
今治市いまばりし(6/6)
今治市街地へ向かうべく、来島海峡大橋を渡ろう。通行料をサッと支払えるように、ポケットに50円玉を忍ばせていたら、通行料が200円だった。橋の距離が長い分、値段も高いのだと。100円玉が2枚、ちょうどあったからよかったけれど、ほかの橋は総じて50円だったので、引っ掛け問題だった。

そして、今治市街地では、今治城へ。城の前に堂々と鎮座するのは藤堂高虎像。藤堂高虎は先日の旅で訪れた伊賀市や津市でも登場していたし、活躍の幅がものすんごく広いなと感じる。今でいう、装丁家さんみたいな感じだろうか。ええ!あの本も、あの方が手がけていたんですか! みたいな感じがする。

今治城からは、昔の商店街のある方まで散策してみた。味のある町並みも残っているし、何より今治市は広いなと感じるばかりである。
今治城と藤堂高虎。
周辺も散策した。
懐かしい雰囲気も。
バスターミナル。
というわけで、今日の散策はここまで。愛媛県の島々の訪問は、これで無事に終えることができました。上島町、岡村島、中島、しまなみ海道‥‥。もちろん、まだ行ったことのない離島はたくさんあるのですが、愛媛県と瀬戸内海は、いろんな暮らしがあるのだなあと思うばかりです。
本日のひとこと
今治市がおよそ旧市町村ごとに(?)制作しているポスターをよく見かけたのですが、すごくいいなあと感じるばかりでした。
旅を応援してくださる方へ
「どこで暮らしても」の商品ページに飛びます。
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら

(終わり。次回へ続きます)

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

RECENT ARTICLES

Follow me