ふるさとの手帖

市町村一周の旅

清々しい静岡の海とともに。【旧市町村一周の旅(静岡県)|11月22日―596日目)】

清々しい静岡の海とともに。【旧市町村一周の旅(静岡県)|11月22日―596日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【90/171】

90/171
52.63%
訪れた旧市町村の数【1634/2,097】
1634/2097
77.92%
総計【1724/2,268】
1724/2268
76.01%

スーパーカブの総走行距離
40801km

旧榛原町→旧相良町→旧御前崎町→旧浜岡町→旧小笠町→旧菊川町、の6つ。
今日の旅先のこと
さあ、今日も一日がんばりましょう。宿舎で小さく“えいえいおー”をして、出発です。牧之原市、御前崎市、菊川市へ。海と出会う時間も多く、空と海の清々しさを感じながら。それでは振り返っていきましょう。

榛原町はいばらちょう(牧之原市)(1/6)
晴れているものの、風が冷たい朝。昨日、最後に訪れたまちは川根本町ですが、昨日、がんばって近くまで移動したおかげで、すんと旧榛原町へ入ることができました。

何より、旧榛原町の市街地は静波という地名ですが、榛原も静波も、すんごくかっこいい名前ですよね。旧榛原町から御前崎にかけては、かつて榛原郡だったと。

市街地は穏やかなまちなみと、北東の方角にこんもりした山が印象的。歩いているとき、軽トラのおじさんと道の譲り合いでお見合いをして笑い合った朝でもありました。
朝焼け。
旧榛原町へ。
牧之原市役所。
山車かな。
榛原郵便局。かっこいい。
その後、静波海水浴場へ向かってみると、サーファーがいっぱい! ふかふかの砂浜の先に、キラキラと光に揺れる波。音も気持ちいいし、波に乗っているサーファーの方々を見ているだけでもたのしい。とてもうつくしい時間だと思いました。
静波海岸へ。
相良町さがらちょう(牧之原市)(2/6)
次にやってきたのは、旧相良町です。「大鐘家おおがねけ」という昔ながらの建造物を見に行ってみようと。受付を済ませたあと、品の良いお父さんがそのままいっしょに案内をしてくださいました。約300年前の建物で、今は24代目の方が住まわれていると。建物の中は線香の香りがして、今も生活があると感じられます。かつての大鐘家は柴田勝家の家臣になったり甥の勝豊に仕えたり、柴田家と関わりが深く、そこで生まれる確執に巻き込まれながらも、江戸時代には大庄屋となって、現在に至ると。

ほかにも、牧之原市では田沼意次が有名だと教えてくれて、松平との敵対関係についても、熱く教わりました。その辺りの歴史、ぼくは疎いんだよなあ、と少し悔しかったけれど、散策の後には「お茶のサービスがありますから」とのことで、おいしい百葉茶をいただきながら、お父さんと河井継之助や山田方谷の話で盛り上がったのでした。
大鐘家へ。
石垣は田沼街道のものだと。
かっこいいなあ。
丘からは富士山も。
そして海も。
百葉茶。話が終わらず、おかわりしてしまいました。
そのあと、相良庁舎まで行くと、確かに田沼意次の銅像が。庁舎のそばが相良城跡になっていて、周辺も含めてすごく良い雰囲気で。
市街地を歩きます。
提灯だ。
史料館でもあるみたい。
好きな喫茶去の言葉があった。
田沼意次像。
相良城は田沼意次によって築かれた城。
御前崎町おまえざきちょう(御前崎市)(3/6)
静岡県は東西に長いとよく言われますが、御前崎までくると、南もけっこう懐が深いんだよなあと思います。これは前回も思っていたことだけれど、今回もやはりそう思いました。地図を見ても、御前崎の緯度は伊豆半島の松崎町と同じぐらいです。

そして、まずは「マリンパーク御前崎」へ。とにかく風が強く、たくさん並ぶヤシの木も傾いています。この風の強さが、先端部にいることを感じさせるというか。
マリンパーク御前崎。冷たい風がびゅうびゅうと。
そして広い。
奥には富士山。
漁港も見える。
また、御前崎灯台へ向かうと、今度は一気に台地を登って、想像以上に海抜の高いところに灯台がありました。およそ30m〜40mほど。次のまちへ移動するときに市街地も通りましたが、市街地も台地に広がっていて。海が近いけれど、これだけ高い台地があるって、珍しいように感じました。
御前崎灯台。
海岸線を見下ろす。
防風林がなかったら、凄まじい風だと思った。
浜岡町はまおかちょう(御前崎市)(4/6)
同じく御前崎市の旧浜岡町へ向かいます。まずは「浜岡砂丘」へ行ってみることに。直接は見えなかったけれど、遠くから小さく拡声器の声が聞こえてきて、「イェーイ!!」「ウォー!!」みたいなやりとりをしていそうな雰囲気で、何かやってるなと。あとから高校生(?)がたくさん出てきた気がするので、行事があったのかなあ。などと思いつつ、浜岡砂丘では砂山が広がっていました。

水切り石にぴったりなサイズの石がいっぱいと、サラサラの砂と、いくつかの草木が入り混じっています。鳥取砂丘だと、もちろん一体が黄金色の砂の風景をイメージしやすいけれど、でも、鳥取砂丘でも、定期的に草を抜いていて、保全しているわけです(この前の訪問で知った)。なので、浜岡砂丘は緑が多いと思ったけれど、これも自然的なのだろうなあと。海抜からの高さもかなりあって、海と内陸、どちらの景色も見渡すことができました。
浜岡砂丘へ向かいます。
砂と丸石と。
風車もたくさんありました。
その後、市街地にも。御前崎市役所があり、「大産業まつり」なるものが明日と明後日開催されるようで、準備に追われているようでした。戸建ての多い、落ち着いた暮らしの町並みで、日常のままに通り抜けていく中高生も、良いなあと思いつつ。
御前崎市役所。市制施行20周年だと。
秋の色。
スベル。
小笠町おがさちょう(菊川市)(5/6)
ここからは内陸部へ。菊川市は旧小笠町と旧菊川町が合併し、現在の姿になっています。まずは旧小笠町へ向かい、黒田家代官屋敷資料館へ行ってみました。黒田家は江戸の頃、旗本・本多日向守の代官を務めていて、大きな屋敷も残されています。資料館は撮影禁止でしたが、細かな装飾品や蒐集品がたくさんあり、黒田家の代々の歴史を感じました。
黒田家代官屋敷。
その後、小笠支所のある周辺へ移動してみると、支所、公民館、図書館、児童館、公園などが同じ場所にギュッと集まっていて、敷地も広々として気持ちよく、小笠というまちを感じるなあと。公園にはおじいちゃんと孫がサッカーをしにきていたり、子どもがのびのびと遊んでいたり、日常がうつくしく。
バサバサァ。
お昼寝かな。
牛淵川。
区画もきれいでした。
菊川町きくがわちょう(菊川市)(6/6)
最後にやってきたのは、旧菊川町です。元々は町で、合併によって市制になったのだなあと。今回は市街地を中心に散策してみることに。東名高速のインターを少し北に進んだところに菊川駅があり、歩道専用のクネクネした道を歩いていると、立派な赤レンガ倉庫が。明治33年に建てられた製茶工場の一部だそうで、製茶の工場と赤レンガって、全国的になかなかないような組み合わせではないかと感じられます。

また、東に向かって進んでいくと、菊川が流れていました。そうか、菊川って、菊川だ。と、偶然出会ったことで気づかされたわけですが、菊川の東の斜面にギュッと集まった住宅街を見て、菊川らしい風景だなあと思いました。あるようで、なかなかないような風景だったからです。

もちろん、「菊川茶」ののぼりも多くて、静岡はいろんな茶名があって、やはり王国だなあと思ったのでした。
菊川市街地へ。
菊川駅。
赤レンガ倉庫。
動物だ、と思ったら、
大きなキリンもいた。
住宅街が広がる。
ススキと菊川。
囲いが富士山だ。
というわけで、今日の散策はここまで。いつの間にか、駿河から遠州へと、地域も移っていることに気づきました。車のプレートナンバーも、浜松ナンバーが多くて。まだ静岡県の旅は半分ほどですし、広い県だなあとしみじみ感じます。
本日のひとこと
今日はよく晴れたので、昼間も月が出ていました。
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(終わり。次回へ続きます)

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