今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【90/171】
訪れた旧市町村の数【1634/2,097】 総計【1724/2,268】スーパーカブの総走行距離
40801km
今日の旅先のこと
さあ、今日も一日がんばりましょう。宿舎で小さく“えいえいおー”をして、出発です。牧之原市、御前崎市、菊川市へ。海と出会う時間も多く、空と海の清々しさを感じながら。それでは振り返っていきましょう。
旧榛原町(牧之原市)(1/6)
晴れているものの、風が冷たい朝。昨日、最後に訪れたまちは川根本町ですが、昨日、がんばって近くまで移動したおかげで、すんと旧榛原町へ入ることができました。
何より、旧榛原町の市街地は静波という地名ですが、榛原も静波も、すんごくかっこいい名前ですよね。旧榛原町から御前崎にかけては、かつて榛原郡だったと。
市街地は穏やかなまちなみと、北東の方角にこんもりした山が印象的。歩いているとき、軽トラのおじさんと道の譲り合いでお見合いをして笑い合った朝でもありました。
その後、静波海水浴場へ向かってみると、サーファーがいっぱい! ふかふかの砂浜の先に、キラキラと光に揺れる波。音も気持ちいいし、波に乗っているサーファーの方々を見ているだけでもたのしい。とてもうつくしい時間だと思いました。
旧相良町(牧之原市)(2/6)
次にやってきたのは、旧相良町です。「大鐘家」という昔ながらの建造物を見に行ってみようと。受付を済ませたあと、品の良いお父さんがそのままいっしょに案内をしてくださいました。約300年前の建物で、今は24代目の方が住まわれていると。建物の中は線香の香りがして、今も生活があると感じられます。かつての大鐘家は柴田勝家の家臣になったり甥の勝豊に仕えたり、柴田家と関わりが深く、そこで生まれる確執に巻き込まれながらも、江戸時代には大庄屋となって、現在に至ると。
ほかにも、牧之原市では田沼意次が有名だと教えてくれて、松平との敵対関係についても、熱く教わりました。その辺りの歴史、ぼくは疎いんだよなあ、と少し悔しかったけれど、散策の後には「お茶のサービスがありますから」とのことで、おいしい百葉茶をいただきながら、お父さんと河井継之助や山田方谷の話で盛り上がったのでした。
次にやってきたのは、旧相良町です。「大鐘家」という昔ながらの建造物を見に行ってみようと。受付を済ませたあと、品の良いお父さんがそのままいっしょに案内をしてくださいました。約300年前の建物で、今は24代目の方が住まわれていると。建物の中は線香の香りがして、今も生活があると感じられます。かつての大鐘家は柴田勝家の家臣になったり甥の勝豊に仕えたり、柴田家と関わりが深く、そこで生まれる確執に巻き込まれながらも、江戸時代には大庄屋となって、現在に至ると。
ほかにも、牧之原市では田沼意次が有名だと教えてくれて、松平との敵対関係についても、熱く教わりました。その辺りの歴史、ぼくは疎いんだよなあ、と少し悔しかったけれど、散策の後には「お茶のサービスがありますから」とのことで、おいしい百葉茶をいただきながら、お父さんと河井継之助や山田方谷の話で盛り上がったのでした。
そのあと、相良庁舎まで行くと、確かに田沼意次の銅像が。庁舎のそばが相良城跡になっていて、周辺も含めてすごく良い雰囲気で。
旧御前崎町(御前崎市)(3/6)
静岡県は東西に長いとよく言われますが、御前崎までくると、南もけっこう懐が深いんだよなあと思います。これは前回も思っていたことだけれど、今回もやはりそう思いました。地図を見ても、御前崎の緯度は伊豆半島の松崎町と同じぐらいです。
そして、まずは「マリンパーク御前崎」へ。とにかく風が強く、たくさん並ぶヤシの木も傾いています。この風の強さが、先端部にいることを感じさせるというか。
静岡県は東西に長いとよく言われますが、御前崎までくると、南もけっこう懐が深いんだよなあと思います。これは前回も思っていたことだけれど、今回もやはりそう思いました。地図を見ても、御前崎の緯度は伊豆半島の松崎町と同じぐらいです。
そして、まずは「マリンパーク御前崎」へ。とにかく風が強く、たくさん並ぶヤシの木も傾いています。この風の強さが、先端部にいることを感じさせるというか。
また、御前崎灯台へ向かうと、今度は一気に台地を登って、想像以上に海抜の高いところに灯台がありました。およそ30m〜40mほど。次のまちへ移動するときに市街地も通りましたが、市街地も台地に広がっていて。海が近いけれど、これだけ高い台地があるって、珍しいように感じました。
旧浜岡町(御前崎市)(4/6)
同じく御前崎市の旧浜岡町へ向かいます。まずは「浜岡砂丘」へ行ってみることに。直接は見えなかったけれど、遠くから小さく拡声器の声が聞こえてきて、「イェーイ!!」「ウォー!!」みたいなやりとりをしていそうな雰囲気で、何かやってるなと。あとから高校生(?)がたくさん出てきた気がするので、行事があったのかなあ。などと思いつつ、浜岡砂丘では砂山が広がっていました。
水切り石にぴったりなサイズの石がいっぱいと、サラサラの砂と、いくつかの草木が入り混じっています。鳥取砂丘だと、もちろん一体が黄金色の砂の風景をイメージしやすいけれど、でも、鳥取砂丘でも、定期的に草を抜いていて、保全しているわけです(この前の訪問で知った)。なので、浜岡砂丘は緑が多いと思ったけれど、これも自然的なのだろうなあと。海抜からの高さもかなりあって、海と内陸、どちらの景色も見渡すことができました。
同じく御前崎市の旧浜岡町へ向かいます。まずは「浜岡砂丘」へ行ってみることに。直接は見えなかったけれど、遠くから小さく拡声器の声が聞こえてきて、「イェーイ!!」「ウォー!!」みたいなやりとりをしていそうな雰囲気で、何かやってるなと。あとから高校生(?)がたくさん出てきた気がするので、行事があったのかなあ。などと思いつつ、浜岡砂丘では砂山が広がっていました。
水切り石にぴったりなサイズの石がいっぱいと、サラサラの砂と、いくつかの草木が入り混じっています。鳥取砂丘だと、もちろん一体が黄金色の砂の風景をイメージしやすいけれど、でも、鳥取砂丘でも、定期的に草を抜いていて、保全しているわけです(この前の訪問で知った)。なので、浜岡砂丘は緑が多いと思ったけれど、これも自然的なのだろうなあと。海抜からの高さもかなりあって、海と内陸、どちらの景色も見渡すことができました。
その後、市街地にも。御前崎市役所があり、「大産業まつり」なるものが明日と明後日開催されるようで、準備に追われているようでした。戸建ての多い、落ち着いた暮らしの町並みで、日常のままに通り抜けていく中高生も、良いなあと思いつつ。
旧小笠町(菊川市)(5/6)
ここからは内陸部へ。菊川市は旧小笠町と旧菊川町が合併し、現在の姿になっています。まずは旧小笠町へ向かい、黒田家代官屋敷資料館へ行ってみました。黒田家は江戸の頃、旗本・本多日向守の代官を務めていて、大きな屋敷も残されています。資料館は撮影禁止でしたが、細かな装飾品や蒐集品がたくさんあり、黒田家の代々の歴史を感じました。
ここからは内陸部へ。菊川市は旧小笠町と旧菊川町が合併し、現在の姿になっています。まずは旧小笠町へ向かい、黒田家代官屋敷資料館へ行ってみました。黒田家は江戸の頃、旗本・本多日向守の代官を務めていて、大きな屋敷も残されています。資料館は撮影禁止でしたが、細かな装飾品や蒐集品がたくさんあり、黒田家の代々の歴史を感じました。
その後、小笠支所のある周辺へ移動してみると、支所、公民館、図書館、児童館、公園などが同じ場所にギュッと集まっていて、敷地も広々として気持ちよく、小笠というまちを感じるなあと。公園にはおじいちゃんと孫がサッカーをしにきていたり、子どもがのびのびと遊んでいたり、日常がうつくしく。
旧菊川町(菊川市)(6/6)
最後にやってきたのは、旧菊川町です。元々は町で、合併によって市制になったのだなあと。今回は市街地を中心に散策してみることに。東名高速のインターを少し北に進んだところに菊川駅があり、歩道専用のクネクネした道を歩いていると、立派な赤レンガ倉庫が。明治33年に建てられた製茶工場の一部だそうで、製茶の工場と赤レンガって、全国的になかなかないような組み合わせではないかと感じられます。
また、東に向かって進んでいくと、菊川が流れていました。そうか、菊川って、菊川だ。と、偶然出会ったことで気づかされたわけですが、菊川の東の斜面にギュッと集まった住宅街を見て、菊川らしい風景だなあと思いました。あるようで、なかなかないような風景だったからです。
もちろん、「菊川茶」ののぼりも多くて、静岡はいろんな茶名があって、やはり王国だなあと思ったのでした。
最後にやってきたのは、旧菊川町です。元々は町で、合併によって市制になったのだなあと。今回は市街地を中心に散策してみることに。東名高速のインターを少し北に進んだところに菊川駅があり、歩道専用のクネクネした道を歩いていると、立派な赤レンガ倉庫が。明治33年に建てられた製茶工場の一部だそうで、製茶の工場と赤レンガって、全国的になかなかないような組み合わせではないかと感じられます。
また、東に向かって進んでいくと、菊川が流れていました。そうか、菊川って、菊川だ。と、偶然出会ったことで気づかされたわけですが、菊川の東の斜面にギュッと集まった住宅街を見て、菊川らしい風景だなあと思いました。あるようで、なかなかないような風景だったからです。
もちろん、「菊川茶」ののぼりも多くて、静岡はいろんな茶名があって、やはり王国だなあと思ったのでした。
というわけで、今日の散策はここまで。いつの間にか、駿河から遠州へと、地域も移っていることに気づきました。車のプレートナンバーも、浜松ナンバーが多くて。まだ静岡県の旅は半分ほどですし、広い県だなあとしみじみ感じます。
本日のひとこと
今日はよく晴れたので、昼間も月が出ていました。
今日はよく晴れたので、昼間も月が出ていました。
旅を応援してくださる方へ
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら
(終わり。次回へ続きます)
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