ふるさとの手帖

市町村一周の旅

芭蕉の旅を見て何を感じるか。【旧市町村一周の旅(岐阜県)|9月2日―514日目)】

芭蕉の旅を見て何を感じるか。【旧市町村一周の旅(岐阜県)|9月2日―514日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【87/171】

87/171
50.88%
訪れた旧市町村の数【1368/2,097】
1368/2097
65.24%
総計【1455/2,268】
1455/2268
64.15%

スーパーカブの総走行距離
35107km

旧柳津町→旧墨俣町→大垣市→旧巣南町→旧穂積町、の5つ。
今日の旅先のこと
(元)台風の雲が抜けていったのを確認して、旅を再開しました。しばらく休ませてもらいましたが、焦らずひとつひとつ進んでいくことです。今日は岐阜市や大垣市、瑞穂市を巡りました。それでは振り返っていきましょう。
柳津町やないづちょう(岐阜市)(1/5)
朝、まだ分厚い雲もあるけれど、大丈夫だろうという空でした。路面は濡れていて、日差しが当たると眩しく感じられます。昼には路面も乾くと思う。

岐阜市内を出発し、最初に向かったのは柳津町。距離は5kmほど。無理をしない行程にしたことで助かりました。朝の通勤ラッシュに紛れて柳津町に入り、柳津地域事務所や柳津駅へ。

地元の高校生たちがどうやら柳津駅から学校へ歩いているようでした。駅まで向かってみると、自転車もぎゅうぎゅう詰めになって並んでいて、若い世代が多いのだなあと。
柳津地域事務所。
周辺を散策します。
自転車の奥には田んぼ。
柳津駅。名鉄です。
びっしりだなあ。
その後、「道の駅 柳津」にも立ち寄りました。自分が駐車したのは道の駅の施設と反対側で、橋の下をくぐって建物へ向かったのも、ちょっと面白かったです。
カラス。
道の駅 柳津。
墨俣町すのまたちょう(大垣市)(2/5)
次に向かったのは、墨俣町です。大垣市だけれど、中心部の大垣市と飛び地になっているのも特徴です。

そして、墨俣町に入ってふとカブを停めると、墨俣宿という看板があり、さらに犀川沿いを進むと「墨俣一夜城」が聳え立っているのでした。

当時、木下藤吉郎と名乗っていた豊臣秀吉は、この地に一夜で砦を築いたと言われています。この砦は、織田信長が美濃を制覇する拠点となり、藤吉郎は成果を認められ、出世していったと。一夜城には「出世の泉」とかかれた湧水もありました。滋賀や岐阜を巡っていると、信長や秀吉にまつわる歴史が多いことを、よく感じられます。
そして、市街地も徒歩で散策してみると、「美濃路墨俣宿」とかかれた木製の街灯がいくつも見られて、昔ながらの気配を感じました。池田屋脇本陣も見つけて、上品でとてもカッコよかったです。
史跡 墨俣宿。
墨俣一夜城と太閤出世橋。
雰囲気を感じる。
ひょうたんがいっぱい。
朝顔だ。
美濃路墨俣宿。
池田屋脇本陣。
大垣市(3/5)
さて、墨俣町から西へ進み、次にやってきたのは大垣市街地です。行きたかった場所は、なんといっても「奥の細道むすびの地記念館」。奥の細道の終着地が大垣だったことから建てられた記念館です。

正直、芭蕉の旅路「奥の細道」のことをどれだけ知っているかと言われると、ぼくの知識は皆無に等しいものでした。しかし、旅先で芭蕉が詠んだ句にたくさん出会ったことは事実です。特に東北あたり。

だからこそ、今まで断片的に感じていた芭蕉のことが、ついに少しはつながるかもしれないと思うと、数日前からうれしくて。

さて、そんなこんなで記念館に入り、まずは3Dメガネを着用して映像を見ました。どうやら15分前後の映像が計6本あるらしく、さすがに全部は観れないと思いましたが、訪れたタイミングで流れていたのは「奥の細道 風雅を究めて出羽路を辿る」編で。

まず、この時点で、出羽路はかなり後半の旅なのだ、ということを知りました。山寺での有名な一句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を詠むに至るまでの道のりから、誰もが知っている句「五月雨をあつめて早し最上川」は、実は改変したあとで、最初に詠んだのは「五月雨をあつめて涼し最上川」だったというのも、目から鱗でした。

と、出羽路の映像を観たのち、あらためて芭蕉の展示を追いかけていくと、また知らなかったことだらけで。

「奥の細道」は、芭蕉の生前には出版されなかったことも知りませんでした。なぜすぐに出版されなかったのか。それは、芭蕉が詠んだ句や文章に推敲を惜しまない人物だったから。

また、芭蕉にとっての最初の長旅は41歳で、奥の細道の旅を始めたのは46歳。奥の細道の旅路はおよそ150日間にわたり、2400kmに及んだそうです。この旅の後半には、芭蕉もかなり疲れていたのではないか、という考察も複数ありました。そりゃそうだ、とも思うし、当時の道のことを思うと、それでもどれだけ健脚なのだろう、と思わずにはいられません。

この5ヶ月に及ぶ旅が、今もなお、日本中で愛されていることを思うと、真っ直ぐな旅っていいな、と。
記念館を訪れたあとは、大垣城の周辺を散策しました。昔と今が混ざり合っている町並みで、駅からのびている商店街のアーケードは、前回の旅でも大垣らしいなと感じたけれど、今日訪れてもやはり、大垣らしい町並みだと感じたのでした。
「奥の細道むすびの地記念館」近くにて、松尾芭蕉と友人の谷木因(たにぼくいん)の銅像。
芭蕉さん。
奥の細道むすびの地記念館。展示室は撮影禁止でした。
散策しましょう。
大垣公園。
公園内に神社もありました。
大垣城。
懐かしい通り。
サンパウロ。
増水していた水路も。
巣南町すなみちょう瑞穂市みずほし(4/5)
次にやってきたのは、巣南町です。まずは、小簾紅園おずこうえんという瑞穂市の指定史跡へ。仁孝天皇の第8皇女和宮に縁のある場所とのことです。地域の名前も「呂久」で、趣のある地名だなあと。

呂久の町も歩いてみると、なつかしく穏やかな暮らしの気配を感じました。市の職員募集のポスターを見ると、手のひらに柿がのった写真でした。瑞穂市は、富有柿ふゆうがきの発祥の地です。

その後、巣南庁舎周辺も散策してみましたが、グラウンドのサッカーゴールを見たときに、見覚えがあるなあと思い、「たぶん、前回の旅でもここに来たな」と。振り返ってみたら正解でした。サッカーゴールの写真で記憶していたので、写真が引き出してくれる記憶というものは、つくづくあるなあと思います。
巣南町の呂久へ。
小簾紅園。庭園のような感じ。
秩父宮妃殿下御手植、と。
周辺を散策。
富有柿だ。
巣南庁舎へ向かいます。
わあ、降ってる!
朝礼台っていいですよね。
サッカーゴールを見て、思い出したのでした。
穂積町ほづみちょう(瑞穂市)(5/5)
最後にやってきたのは、穂積町です。

すでに、雲行きが怪しくなっていたので、急いで移動しました。まちは巣南町よりも、大きく感じられます。

庁舎の近くを歩いていて、地元のうどん屋さんを見つけたのでお昼休憩に。お店のお母さんのそばには、2歳ぐらいの娘さんも一緒にいて、注文のときには近くでじーっと目が合いました。

別の女性のお客さんが、「ごちそうさまぁー!美味しかったよぉー!」と大きな声で挨拶を交わされて、娘さんにもバイバイと手を振り、娘さんも手を振り返して、とてもいい光景だなあと。お店では写真を撮らなかったけれど、ぼくもお会計後に娘さんに手を振ったら振り返してくれて、「大好き!」って思いました。お料理もすんごく優しくて美味しかったです。

その後、東海道本線の穂積駅周辺まで歩く頃には、雨雲も抜けて強い日差しが戻ってきました。日差しは届いているけれど、小さな雨も振ったりしながら。
うどん屋さん。美味しかったなあ。
とても中央。
瑞穂駅へ。
電車もどんどん発着してた。
瑞穂市役所。
近くの中川。
というわけで、今日の散策はここまで。午前中はまだ涼しいかなと思ったけれど、午後にはやはり暑さが戻ってきました。でも、確実に季節は進んでいて、7月や8月と同じような暑さかといえば、違うとも思いました。9月もがんばっていきましょう。
本日のひとこと
松尾芭蕉が伊賀の出身だということも、今日初めて知りました。

旅を応援してくださる方へ

「どこで暮らしても」の商品ページに飛びます。

今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら

(終わり。次回へ続きます)

COMMENTS & TRACKBACKS

  • Comments ( 2 )
  • Trackbacks ( 0 )
  1. しんちゃん

    楽しく読ませて戴きました。
    柳津の橋の歩道に「譲り合って渡りましょう」って、看板が有りますね。ちょっと狭いのと、自転車が通るのでその気遣いですね。
    また、芭蕉が近くの伊賀出身なのに、何故出身地でなく大垣を結びの地に選んだのか?
    実は、大垣は今でも続くそう言う土地柄なんですわ。

  2. しんちゃんさま

    コメントいただきありがとうございます。なるほど、気遣いもあるのが柳津のまちですね。
    また、大垣が結びの地だったことは、やはり「おお!」と思わせるものがありますよね!

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

RECENT ARTICLES

Follow me