ふるさとの手帖

市町村一周の旅

生野銀山へ訪れ、南西へ進んで宍粟市まで。【旧市町村一周の旅(兵庫県|7月29日―479日目)】

生野銀山へ訪れ、南西へ進んで宍粟市まで。【旧市町村一周の旅(兵庫県|7月29日―479日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【87/171】

87/171
50.88%
訪れた旧市町村の数【1277/2,094】
1277/2094
61.00%
総計【1364/2,264】
1364/2264
60.25%

スーパーカブの総走行距離
33132km

旧生野町→旧神崎町→旧大河内町→旧夢前町→旧安富町→旧山崎町、の6つ。

今日の旅先のこと
さあ、旅はまだまだ進んでいきます。今日は兵庫県の中央を縦断し、西へ折れて姫路市の小さなまちを通りつつ、宍粟市へ。それでは振り返っていきましょう。
生野町いくのちょう朝来市(1/6)
定刻通り8時に出発しました。外に出るとボワッとした暑さがまとわりつくけれども、負けずにがんばろうと気合が入ります。

朝来市の和田山町から国道312号線を下り、生野町へ入りました。支所には「オオサンショウウオの棲むまち」と横断幕が掲げられています。いつか川で見てみたいものだなあと。

そして、生野町の町並みは昔ながらの建物が残っており、全体的にトーンが黒くてかっこいい。このあと訪れる生野銀山の鉱山町として、かつては栄えたそうです。似た風景としても、やはり石見銀山や佐渡の町並みを思い出しました。
生野庁舎。
町並みを歩きつつ。
白壁の塀が長い!
鉱物みたいだ。鉱物かな。
市街地を散策したあと、生野銀山へ向かいます。前回の旅では、朝来市という括りで竹田城跡を訪れていて、生野銀山を訪れるのは初めて。

入口に着くと、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の直轄地だったことが紹介されています。それだけでも、日本の歴史において重要な位置付けだったことが頷けますよね。

9時10分からオープンで、10分早く着いたのでちょっと待機して、この日一番乗りで坑道へ。なんと坑道の中は年間を通して気温が13度とのことで、とっても涼しいのです。これ、外に出たら暑いだろうなあとも思いました。
坑道ではかつてどのようにして鉱物を採石していたかが、リアルな人形などと一緒に紹介されていました。過酷な現場に違いないけれど、「江戸時代の手掘り跡」といった箇所を見たりすると、果てしなさと同時に、果てしないエネルギーも感じるというか。

ぼくにとって、鉱山の生活は身近ではないけれど、ここでの生活が身近だった人が、確かにいるわけです。

ちなみに、いちばん乗りだったからだと思うのですが、出口の鉄格子がまだ閉まってて、ものすごく焦りました。全力で「すみませーん!」って叫ぶ? 入口に戻って出る? と迷った末に、鉄格子の仕組みがわかって開けることができました。ドキドキした。
坑道へ。
江戸時代の紹介は、みんな手で何かをしている人が多かったです。
お酒の貯蔵もされていました。
リアルな人形。
木で隙間を挟んでる。
押してみたら、でっかい音が鳴って、震えました。

神崎町かんざきちょう神河町かみかわちょう(2/6)
生野町から生野峠を越えて、国道312号線を南へ下りていくと、神崎町に入ります。山の麓に集落が広がり、国道沿いのグラウンドでゲートボールをしている方々もいました。最初に「道の駅 銀の馬車道 神河」へ。銀の馬車道って、小説に出てきそうな名前ですが、生野から姫路の飾磨港へ続く、南北一直線の道です。

ぼくは元々、江戸時代の街道のような道だと思っていたのですが、実際はほんとうに直線の一本道で、明治新政府がつくった物流ルートでした。欧米諸国に負けない日本にしたい、という初動の動きの中で、銀を運ぶ道として生まれたと。
道の駅 銀の馬車道 神河。
お茶屋さん。
実際に、銀の馬車道があったという道です。
こちらは国道312号線。
その後、神崎支庁舎の周辺を散策しました。市街地は国道から一本外れると、豊かな田園風景と住宅街の景色に変わります。だから、たとえば神崎町を国道で通り抜けるときの景色と、神崎町内を小さく移動して見える景色は、ぜんぜん違う気がするなあと。

夏なので、百日紅の花がとても綺麗でした。
神崎支庁舎。
百日紅だ。
恐竜!?
 
大河内町おおかわちちょう(神河町)(3/6)
神崎町の中央には越知川という川が流れていて、川を西へ渡って少し進むと、今度は市川という川が現れます。この市川周辺に広がるのが、大河内町。

移動距離は短くて、現在は同じ神河町なのですが、山の位置や形は違うし、町の雰囲気もちょっと違います。特に寺前駅の周辺は、昔ながらの気配が感じられました。

だから、川が違うと生活文化も変わるような気がします。今ではあまり関係なくても、たった一世紀さかのぼれば、川が生活を左右するという重要度が違いますし。
神河町役場。
この山が近くて印象的でした。
寺前駅。
駅近くの通りに雰囲気があった。
不思議な色。

夢前町ゆめさきちょう(姫路(4/6)
次にやってきたのは、姫路市の夢前町です。到着してからも、ここが姫路市なのか、よくわからないなあというのが正直な気持ちでした(姫路市街地の記憶も、濃いわけではないので)。

夢前町の市街地は緩やかに山に囲まれていて、自然の方が印象として強かったです。住宅地も建っているものの、都市のような気配はなく。

それでもコンビニはお昼時ということもあって、ものすごい数の車が停まっていたので、人口そのものは多いのかなあと思ったり。

また、夢前事務所の入口で地元のおばあちゃんと会話しました。救急車の音が聞こえて、「あっ、今、右に曲がりましたな」「自分が暑さで倒れそうやわ、あっはっは」と。初対面とか関係なく、ふらっと会話する感じ、良いですよねえ。
夢前事務所。事務所=支所って意味かな。
市民センターに像が建っていた。
夢前川。
とっても綺麗でした。
近くには温泉もあると。
お地蔵さんだ。

安富町やすとみちょう(姫路(5/6)
夢前町から9kmほど西へ、山を越えて、別の町が現れたという感じでした。それでも同じく姫路市です。新旧ともに戸建ての建物が多く、周囲は山に囲まれた、穏やかな住宅地。そうなると、一瞬夢前町とも似ているようだけれど、やっぱり現地で感じる雰囲気というものは、確かに違うなあと思うのでした。

安志あんじ加茂神社にも向かいました。大きな提灯がシンボリックな入口を通って境内へ。正面に真っ直ぐな木が立っていて、非常に存在感がある。社殿にはお酒だけではなく、地元の会社であろう醤油も奉納されています。

拝殿の天井画に特色があるみたいで、たぶん龍の絵なのですが、少しだけ扉越しに見えました。良い天井画のある寺社仏閣って、かっこいいですよね。とても清々しい神社でした。

安富事務所。
にししん。

野球しようぜ!

安志加茂神社へ。

木が立派でした。

天井画もあると。
醤油がいっぱい。

山崎町やまさきちょう宍粟市しそうし(6/6)
最後にやってきたのは、山崎町です。宍粟市の市街地でもあります。

「しそうし」って難しい地名だなあと思っていたけれど、元々の町名は山崎町だったなんて。山崎から宍粟へ。

宍粟市役所はとっても立派なベージュ色の庁舎でした。そばの林田川の流れも良い。

そして、市街地を散策していくと、坂道の古い通りを見つけました。石碑に見附とあったので、城があったということかなあと。ミュージックショップ、ヘレン・ケラーのお店と、オリジナルなお店もいくつかあって。雰囲気としては、常陸太田市を思い出しました。急坂の上に、懐かしい通りがあるんですよね。
宍粟市役所。
林田川と。
むむむっ!ネズミかな。
懐かしい通り。
ヘレン・ケラーさん。
さらに、最上山公園へ向かうと、その直前が酒蔵通りになっていました。さっきの通りとは違う、蔵の町並みが感じられます。

そして、最上山公園は城跡の麓に位置する公園でした。また、紅葉が有名だという最上山公園ですが、今は森林浴スポットと言えるでしょう。

だいぶ坂道もあって、しんどい道のりでしたが、後悔しないように展望台まで向かい、ようやく到着したら、展望台は閉じられていて。がっくし、いや、そんなにがっくしでもありません。訪れてみたからこそ、分かったことですからね。
酒蔵通りだ。
杉玉。
最上山公園へ。
途中の道で景色も見えました。
展望台の下から。
秋になると、紅葉が綺麗だろうなあ。
というわけで、今日の散策はここまで。いつの間にか兵庫県もだいぶ下ってきて、不思議な感覚がします。まだ兵庫県も前半ですから、しっかり休みをとって、次に進んでいきましょう。
本日のひとこと
カブの前かごにペットボトルの飲み物を置いているんですが、もはや熱い飲み物になっています。

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(終わり。次回へ続きます)

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